2月27日は去年も今年も病院で検査結果を聞く日になった | ucacoceramics
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2月27日は去年も今年も病院で検査結果を聞く日になった

2018年2月27日 母と共に病院へ

 

病状をお医者さんから説明され始めたけど、正直ちんぷんかんぷんで何を言っているのかわからなかった。

 

ネットとかで病気のことを調べたりしない様にと事前に看護婦さんから言われていたから本当に何も調べなかった。

というか怖くなるからあまり知りたくなかったのもある。

 

そのかわり手渡された乳がんのことが書かれた資料は全部読んだというか目を通した。

読んだのだけれど、なんというか自分ごととして捉えることがまだ出来なくて読んでもキチンと理解出来ていなかった。

 

自覚症状がイマイチ無くてピンと来ていなかったのもある。(結構なシコリの大きさだったのだけれど)

 

予備知識が少ないから、正直自分の症状がどんな感じなのか?がピンと来ていなかった。

質問は無いですか?と聞かれ、聞きたいことがあるのだけど怖くて聞けないでもいたし、理解が追いつかなかったからちょっとボンヤリしてしまってもいた。

 

 

結果的には手術をしなきゃいけなくて、もうこの日に手術日も術式も決めてしまわなければいけなかった。

 

私は先生に「もし先生の奥さんや娘さんが私と同じ症状で同じくらいの進行具合だったら、先生は全摘と部分、どちらをすすめますか?」と聞いた。

先生は一瞬、こいつはなにを…という感じで目が泳いでいたけど、「今田中さんに伝えたことと同じように言う。見た目の好みの問題だから」と冷静に答えた。

 

手術が早いに越したことは無いらしかったのだけれど、正直その場ですぐには決められなかった…

 

今までの私は決断に迫られた時も、結構色んな事をアッサリと決めて来たし(実はそうでもないこともあったけど周りからは簡単そうに決めている様に見えたらしい)比較的腹をくくることにも慣れていて即断即決できるタイプでもあった。(まぁ、そんな大きな決断をしたことが無かったのかもしれないけど)

ほとんどのことはどうにかなると思っていたし、どうにもならないとしてもどうにかするしかないと思っていたのもある。

 

 

だけど、今回はすぐに決断出来なかった。

術式を決められず迷ってしまった。

どっちが良いかわからないというだけでなく、なんとなく手術を後回しにしたい様な気持ちになっていた。

考えたいから持ち帰って良いですか?とお医者さんに言ったら1週間後には返事を出せますか?と急かされた。

進行のゆっくりな癌だとはいえ1日でも早く手術した方が良いことには変わりない。と言われた。

仕方なく「はい」と答え病院をあとにした。

 

 

その日に京都に帰って手術時にまた来る予定だった母に、来週まで一緒にいて欲しいと頼んだ。

1人でいる方が落ち着いていられると思っていたけど、それはただそう思いたかっただけで、本当はものすごく不安だったんだと思う。

母にそばにいてほしいと心底思った。

 

 

普段の私は1人でいることが比較的好きなのだけど、この時はさすがに1人ではいられなかった。

不安感というか恐怖心なのかなんともいえない不安定な気持ちになっていた。

 

それでも毎日陶芸だけはしていた。

ろくろを回していないと要らぬ情報を携帯で調べてしまうし、とにかく土を触っていたくてその時間を増やした。

土を触っていると少しでも気持ちが和らいだしフラットになれた。

 

 

翌週に返事をするまでの1週間は気持ちがずっとグラついていて何度も何度も迷っていた。(この1週間の間に色んな人から助言ももらい、その都度気持ちがフラフラとして決められなかった)

 

ほんのちょっとしたことで迷ってしまっていたし、“どうして有識者であるお医者さんが決めてくれないんだろう…”とも思っていた。

 

考えなきゃいけないのだけど考えたくもなくて自分のことなのにどうでもよくなっても来た。

 

手術なんてしないでこのまま(なんの不自由も今はないんだし)ストレス無く暮らしていれば治るんじゃないのか?とも思った。

 

眠れなくて、手術をしないでいた人のブログなんかを夜中に読み漁りだしてもいた。

 

他にも何人かの友人から色んなネットの情報が届いた。

けれど、何が正しいのか?が全くわからなくて理解出来ていないから色々届くフンワリとした情報はどんどん自分を迷わせていった。

 

でも手術はしないといけない。

ずっとモヤモヤしていて、逃げる様にろくろを回していた。

 

 

母の時は術後に土を触るなとお医者さんに言われたと言っていた。

私はそこにすごく引っかかっていて【土を触れなくなるのがすごく嫌】だった。

 

今の自分から陶芸が無くなったら私には何も無いじゃ無いか?という焦りや苛立ちがあった。

なんで私がこんな目に合うのか?とやっぱり思ってしまった。

100歩譲ってそれ以外の事はもうホントにどうでもいいし忘れよう。

だけどせめて陶芸だけは続けさせてや!そんな気持ちになっていた。

 

陶芸が出来なくても大丈夫だよ!その時はその時だから!と励ましてくれる友達もいたけれど、そんな日々をどうやって乗り越えれば良いのか?の想像がその頃は全くつかなかった。

 

 

色んな気持ちが入り交じって手術をするのがものすごく怖くなってしまい、「手術はしない」と私が言いだしたら母は泣いた。

呆れていたのかもしれないし怒りの頂点に達していたのかもしれない。

なんでそんなことを…とただ泣いていた。

泣きたいのは私やわ!と泣きながら母にあたった。

 

 

そんな風に日々気持ちがグラつき激しく落ち込んだり泣いたりして1日の中でも気持ちは揺れっぱなしだった。

【自分でも決められないしお医者さんに選択を委ねることもできない】という状態にフラストレーションが溜まっていた。

こんなにも自分は決断力がないのか?と我ながら呆れた。選ばなきゃいけない二択はどっちも選びたく無い!そうとしか思えなくなっていた。

 

 

1年後の今日は1年検診の結果を聞きに来た。

いくつか気になる点はあったものの胸は両方とも再発しておらず、肺や肝臓への転移も見られ無かった。

 

ホッと一安心する間も無くお医者さんから「子宮筋腫が異常に大きくなりすぎているから婦人科検診を受けるように」と言われた…

 

一難去ってまた一難…

心配ごとがなかなか消えてくれない。

半年前にも色々と心配で婦人科検診を受けてはいた。(薬の副作用で子宮体癌になる可能性が上がることがわかっていて、異常に酷い鈍腹痛や腰痛、その他諸々が気掛かりで受けた)

その時点で既に筋腫の量がちょっと多いこと、大きめのものが3つほどあるから半年後にまた必ず検査を受けるように言われていた。(ことを忘れていた。というか筋腫がチョコチョコあるくらいは普通だし…)

 

 

けど、今回はその大きさが異常だとのこと…

見せられたCTでは全面的に写っているモノを指して先生が「コレが筋腫。おっきいでしょ。赤ちゃんみたいに」って言うんだけどその例え、出産経験のない人間には全然伝わらない…ってホントに思った。けど、えっ?ソレ?というくらいの大きさの物をお医者さんは筋腫だと言った。

子宮全体とほぼ同じ大きさですけど…その影…と思って絶句してしまった。

 

 

今日すぐに検査を受けてくれば良かったのだけど、前回と同じ女医さんが良いと思って日を改めることにした。

正直、色んな検査の中で婦人科検診は嫌いな検査の1.2を争う。

もう半年経ったのか…と思うとゲンナリする。

おおごとでなければ良いのだけど…

 

出来ることなら漢方で緩やかに治せる程度であってほしい…

もう手術はしたくないし、薬もこれ以上飲みたくないなぁ…

 

ただ笑って過ごしていたいだけなのに…

 

ネットで要らぬ検索をしてしまわないように今日もろくろを回そうと思う。時間がある限り、作陶する。

 

今の自分に必要なのは土に触れて心のざわつきを静めることだと思う。

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