初めて陶器の像を作った | ucacoceramics
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8月 03 2023

初めて陶器の像を作った

今年の3月末、私にとっても心友であるラナが他界した。

ラナというのは前職で知り合ったアウトドアライター、ホーボー潤さんが長年連れ添った相棒のボーダーコリーのこと。

 

私はラナとそんなにたくさんの時間を過ごしたわけではないけれど、1度だけマンツーマンで5日間ラナのお世話をする機会があった。

まだ、会社勤めをしていて、毎日逗子から目黒区まで片道1時間半の通勤をしていた頃だった。

 

 

いつも残業をするのが当たり前になっていた私だったけれど、この奇跡の5日間はラナのお散歩、トイレ、ごはんの事が気がかりで定時ピッタリで会社を出て走って帰宅していた。

(走ってというか、もしかしたら嬉しくてスキップしていたかもしれない。)

ラナはとてもお利巧さんで、そしてとにかくベッピンさんで可愛くてかわいくて仕方がなかった。

 

 

あの時ラナと過ごした5日間はとにかく楽しくて、嬉しくて、幸せな時間だった。

私にとっては、とてもキラキラした思い出になっている。

 

朝、勤務前に葉山の海辺を散歩していると、ラナは棒っきれを咥えて私の足元にすり寄って来た。

満面の笑みで私を見上げている。

ボーダーコリーは頭もいいし、運動量も多い。

その棒っきれをリードを最大距離まで伸ばしても届くギリギリまで遠くに投げる。

ラナが走って取りに行き、それを咥えてダッシュで戻ってくる。何度も何度もそれを繰り返して遊んでいた。

まだまだラナと遊んでいたい気持ちはやまやまだったけれど、電車の時間が近づいているため、急いで帰宅し、会社へ行く。という数日間を過ごした。

 

会社にいても夕方5時ごろにはそわそわしていた。

ラナはちゃんとトイレはしたかな?お腹すかせていないかな?そんなことが気になって仕方なかった。

ちょっと過保護だったかもしれない。笑

 

 

2日目くらいからは私が寝袋で寝ている間もその隣に来たり、上に乗っかってきたりしてとにかく仲良く過ごした。

元々ラナの事は可愛いと思っていたけれど、あの5日間でとにかくラナへの愛おしさが強まった。

 

5日間のラナとの楽しい日々を終えて潤さんたちが戻ってきて、私は嘘みたいにあっけなく日常生活へと戻った。

 

 

その数日後、潤さんから言われた。

「お前、めちゃくちゃラナを甘やかしただろ?!お前に預けた後、ラナがやたらと甘えてくるようになったぞ!」と。

 

その時は「え?ほんとですか?結構厳しくしたと思うのに。すみません」なんて言っていたのだけど、今はそれでよかったのかも?と思っている。

 

ラナはきっと、ホントは潤さんに甘えたかったのではないかな?

だけど、我慢していたのではないかな?

そんな風に思う。

 

 

前職を辞め、がん治療などをしていたり、開業したりと私も慌ただしかったのもあって以前の様にアウトドア時代の友人たちと遊びに行く機会はここのところめっきり減っていた。

 

だけど、ふとした拍子にラナの事は思い出していた。

海辺でボーダーコリーを見かけると、ラナはどうしているかな?と。

 

 

1度だけ、夢にラナが出て来て、気がかりで潤さんにラナの様子をうかがう連絡をしたことがある。

その夢の中でラナは何かを訴えるような泣き方をしていて、ものすごい勢いで私に飛びついてきていて、心配になった私はラナに「ラナ、どうしたの?何があったの?」と必死になって呼び掛けている。という内容だった。

 

この時期、すごく鮮明なカラーの夢をよく見ていて、現実と夢の境があやふやになっていた頃だったからすごく気になった。

 

気になって、朝起きた時に潤さんのツイッターを見てみた。

何かあればきっとつぶやいているに違いない!と思って。

だけどラナの事については何もつぶやいていなかった。だけどやっぱりすごくラナの事が気になって1年以上ぶりで潤さんに連絡した。

それが2021年の秋ごろの事。

 

 

今年、ラナが旅立つ直前、共通の知人から連絡があった。

ラナの容体が良くなくて、潤さんも元気がない。と。

翌朝、自転車でラナに会いに行った。

この頃、私は今までの中でもMAXで貧しいタイミングで1000円ですらとても大金で、凄く苦しい時期だった。

手土産を買う余裕は勿論なく、家の中を見渡して考えた挙句、その時家の中にあった一番高価な頂き物のおいしいコーヒーを3名分握りしめて潤さんの家へ向かった。

(牛乳すら買えなくて粉ミルクを代用していたタイミングだった)

 

 

その日はお天気が良くてラナはお日様に暖かく包まれるように穏やかに眠っていた。

潤さんは少し疲れて見えた。

ラナに長らく会えていなかったから、私は眠っているラナをずっとそっと撫でていた。

 

一緒に葉山の海で泳いだこと、いろんな雪山に一緒に行ったこと、ラナを連れて葉山のお洒落カフェでセレブごっこを楽しんだこと、焼き立てのパンを1斤ぺろりとラナに平らげられて爆笑したこと、遠くからでも私を見つけて尻尾をぶんぶん振ってワンワン吠えてくれたこと。

色々思い出しながら・・・

 

数少ない思い出だけれど、ラナと過ごした時間は私にとってはいつも楽しくて、とてもキラキラした思い出ばかりだった。

 

ラナが旅立ってから、もう4か月ほど経ち、季節が2つ変わった。

潤さん夫妻は変わらず忙しく各地を飛び回ってらっしゃるようだ。

 

3か月ほど前、潤さんがやっぱり元気がないと聞いた。

それで、ラナとの思い出の1シーンを私なりに表現して潤さんに渡そうと思った。

 

 

潤さんは私が闘病生活をしていた頃、ラナと風生君のお散歩の途中に日影茶屋で買ったお菓子を持って様子を見に来てくれたことがあった。

 

会社員時代は、よく潤さんからいじられていたのか、罵られ気味だった私だけれど、なんだかんだで潤さんは優しいし面倒見が良い兄のような存在。

 

 

最初、ラナを模した置物を作ろうと思ってスマホの過去写真をスクロールしていたのだけど、これが良いと思って潤さんがラナのお腹の毛に付いた雪玉をみんなに見せていたショットにした。

二人が一緒に写っている写真が良いな、と思ったし、ラナと潤さんは一心同体だったし、それを表現しようと思った。

 

この時も潤さんがラナに対して呆れたように、「おまえはホント馬鹿だなぁ」。と言いながらラナの手を取っている様子が凄くほほえましかったのを思い出す。

 

ラナへの愛情が、潤さんのちょっとしたしぐさや表情からあふれていて、またラナもそんな潤さんに対しての忠誠心が凄かった。

見ていてホントに素晴らしいなぁ。といつも感心させられていた。

 

 

この陶器の像は、潤さんへのギフト。

素焼き後、釉薬掛けをして乾かしているところ。

 

初めて土像を作った。

 

潤さんがラナの話をしているのを聞いたら手を動かさずにはいられなかった。

 

ラナのお腹の釉薬はあの時の雪玉まみれのラナを再現したくて、スノーホワイトという雪玉のようになる特殊な釉薬を使った(海外のメーカーの物)

 

 

 

 

この日、みんなで滑り終えて駐車場に戻ってきた後、ラナと豆千代を遊ばせていた時の様子。

 

 

ラナはそっちで、また仲良しだった豆と遊んでいるのかな?

 

 

最近陶芸をしたいという意欲が以前のように湧き出てこなくなっていたのだけど、久しぶりに土を触ってラナの写真を見ながら像を作っていたら、陶器を作ることで久しぶりにすごく癒された。

 

 

 

ラナと潤さんの像を作ったら、自分の心が動いたときにだけ陶芸しよう。と心から思えたし自分の中でモヤモヤしていた色々なことがストンと腹落ちした。

 

私はやっと、陶芸に対しての程よい距離感を掴めた気がしている。

ラナのおかげだなぁ、と思っている。

 

ラナ、キラキラした思い出をありがとう。

そして、私に気づきを与えてくれてありがとう。

やっぱりラナは誰よりも聡明だったよ。

また、私の夢にカラーで現れて来てね!そしてセレブごっこの続きをしよう!

夢だから今度は葉山を出て海外の色んな所で遊ぼう!

 

2023年8月3日 ucaco

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