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精密検査の結果を聞きに

2018年2月9日:検査結果 この時は少し覚悟していて2週間前の精密検査の日よりはかなり落ち着いていた。   1人で病院へ行ったらお医者さんと看護婦さんに「え?1人ですか?」とちょっと驚きながら聞かれた。   もちろん、母は一緒に聞きに行こうか?と言ってくれていたけど、私は断った。 年老いた母を(とか言ったら母は私はまだまだピチピチやで、年老いたとか言わんとって!と言いそうだけど)京都からそれだけのために来させるのは忍びないというのが理由の大半ではあったけれど、それ以上に母が居ると私自身甘えが生じてしまって冷静ではいられなくなる気がしていたからというのが一番だった。 母は私にとって全てにおける理解者だ。私自身が感情をコントロール出来なくなる様なことがあったら、母にはなにも関係なかったとしても、理不尽な事なんて言わない母にでさえあたってしまいそうなのが嫌だったというのもある。   「本当は家族と来て欲しかった。1人で大丈夫ですか?」とお医者さんから再三言われたけれど、白馬にいた間に自分なりに心の整理をして覚悟を決めていたつもりだったし、1人で聞いても取り乱さないでいられるとも思っていた。   あまりにも私が冷静に返答しているからか?お医者さんはちょっと驚きつつも安心仕切って次々と話を進めていった。   結果は悪性。 でも、より良い方法を探るためにこれからMRIやCTなどを撮るとのことで全ての日程をFIXすることになった。 幸い、仕事を辞めた私には優先しなきゃいけない予定は特に何も無かった。 だから、全てを病院のスケジュールで一番早く受けられる日を選んだ。   19日 MRI 21日 CT 27日 結果報告と今後の方針決め ということになり、27日は家族と来てくださいと念を押された。   母にそのことを伝えたら検査の時も行こうか?と言ってくれたけど、来てもらったところで何かをしてもらうわけでもないし、新幹線代だってバカにならないんだし、今現在の私は何の不自由もなく動けているんだから、来なくて平気だと伝えた。なので月末の結果を聞きに行くときだけ来てもらうことにした。   この頃よくやり取りをしていた友人や知人たちには乳がんかもしれないという事を伝えていた。 心配をして病院に着いて行こうか?と言ってくれる人も何人かいた。 けれど断った。 良性だったなら居てもらっても帰りに笑い話にしながらお茶でも出来るけど、悪性だった場合の気まずい空気を想像すると1人の方が気が楽だと思ってしまった。 母にさえ来ないで良いと伝えていたくらいだから、やっぱり他人さんについて来てもらうというのは私の性格的には無理だった。 もし他人さんについて来てもらったら、その人に気を使わせないようにしなきゃ…と思ってしまって自分自身が気を使うことがちょっと億劫で、自分の事しか考えたく無かった。 そのくらい気持ちに余裕が無くなっていた。 とにかく、出来る限り心を穏やかに保ちたいと思っていた。 だから1人が良かった。   幸いにも母が乳がん手術をしていたから電話ではずっと話していて色々聞いた。   母は「もうだいぶ前のことやから忘れたわ。最初は大変やけど日にち薬やからそのうちどうもなくなるし、私なんて今めちゃくちゃ元気やで」と言っていた。 ネットで調べたりはしない様に看護婦さんから何度も言われていた。   母がとにかく楽天的に自分の話をしてくれていたからこの時期の私はあまり悪い様に考えないように自分を持って行けていた気がする。 とはいえ結構無理をしてそういう風に強がっていたのだけど、強がらずにはいられなかった。というのが正解かもしれない。強がっていないと前に進めない状態だった。   1年後、2019年のこの時期は2月9日からの三連休で、ずっと一緒に滑る約束をしていた友人(元お取引先さま)Nさん達と2年越しの約束を果たせて私は雪上にいた。 心から笑った3日間を過ごせた。   Nさんはとてもユニークで心根の優しい可愛い人だ。 たくさん笑わせてもらった。 本当によく笑った3日間だった。   昨年の1年で、ものすごく感じたことなのだけれど、私はすごく人に恵まれている。 沢山の楽しい仲間がいる。 いつもいつもつるんでいるわけでは無いけれど、ふとした時に声をかけてくれる人がたくさんいて、忘れられずに今も連絡をして来てくれる人たちに本当に感謝している。...

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2月 06 2019

snowman from USA!

ついにアメリカから念願の可愛いコテが届きました。   私が今まで作って来た器にはあまり必要では無さそうな形状ですがこの可愛らしい見た目でつい買ってしまいました。   送料を考えるとある程度まとめ買いした方が良くて使い易そうなコテで今持っているものとちょっと違うものを選びました。     お道具が素敵だと作陶も更に楽しくなるので使うのが楽しみです!  ...

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約一年前のとある2週間くらいのこと

約1年前のこと 2018年1月23日:精密検査 この前の健康診断はエコー検査だったから、今日はマンモグラフィーだなぁ… 痛いし嫌だなぁ…そんな気持ちで病院へ向かった。   まずは往診、その後色んな検査をして、その後また往診。 そこでお医者さんから優しい言い方ではあるけれど業務的に説明をされた。 リンパ液の採取、細胞の採取をする注射をする。 細胞の採取は針が太いから痛みがあるので痛み止めも打ちます。計3本の注射をします。と言われた。 その時点で私はかなりのパニックになった。「細胞診の為??」なんだか思っていたよりおおごとっぽい… 注射は嫌いで採血ですら見てしまうと気を失いそうになる。 針先も怖い。 子供の頃の注射の日は朝から泣きわめいて親を困らせていた様なタイプだ。 未だに注射が怖い…   恐怖心と状況が理解出来ないパニックで私は座っているのに倒れかけた。 フラつく私を看護婦さんが支えて背中を撫でてくれたのがものすごく暖かくて何故だか涙がこぼれた。 結果が出るのは2週間後、またその時に来てください、と言われ次回の予約を入れて病院を後にした。 予備知識があればあんな風にテンパることも無かったのだろうけど、健康診断後の自分は悪性腫瘍の可能性なんて考えていなかったから何にもネットで調べたりもしていなかった。 だから、この検査の状況が予想をはるかに超えていて(マンモグラフィーだけで終わると思い込んでいたから)そこでやっとコトの重大さに気づいた。   検査を終え病院を出てバス停に向かう数分の間に涙が溢れて止まらなかった。 不安、恐怖、悲しさ、悔しさ、なんだかわからない感情が一気に押し寄せて来て冷静になろうとしても涙を止める事が出来なかった。 母から電話がかかって来たのでバスに乗らず雪が溶けて水たまりだらけの歩道を歩きながらこの日の検査内容を話した。   お店にお客様が来た、と言って母は途中で電話を切った。 そういうのが無ければ、私はいつまでもただ泣いて行き所のない感情を母にぶつけるだけになっていたと思う。 そうならずに済んだことを、その時お店に入って来てくれたお客様に感謝した。   バスに乗っている間も涙は止まらず家に帰ってベッドに倒れこんだ。 3日3晩ひたすら泣き続けていた。 何もする気力が出ず食べることすら出来ず… 「なんで私が?私は悪いことなんてしていないのに」「世の中は不公平すぎる」 そんな気持ちばかりで憤りを感じた。 泣きすぎて頭が痛くて仕方なかった。   そんな風に泣き続けていた3日目に電話が鳴った。 出るのをちょっと迷ったけど画面を見たらTKさんの名前が表示されていたから思わず出てしまった。 一応冷静を装って出た。 TVの前でうたた寝していて、TV消しなさい!と注意されている人が[寝てないよアピール]する時みたいな感じで普通を装ってはみたけど、泣きすぎてめちゃくちゃ鼻声になっているからすぐバレた。 「どうしたんですか?大丈夫ですか?」そんなことを言われたんだと思う。 テンパりながら「大丈夫じゃないです。癌かもしれない…」と結局また泣き出してしまった。 恐怖心を抱えきれなくなっていたところに電話をもらえたから吐き出せて良かったんだと思う。   なんだかんだ話していた。 何を話していたのか覚えていない… けど、この世のものとは思えないほどブッサイクな顔をして泣いていた時にTKさんはいつも通り冗談を言って笑わせてくれた。何で笑えたのか内容は覚えていないけど。(笑) でも、あの状態から私を笑わせるなんてすごい。 ユーモアと人間的な温かさのバランスが素晴らしい人だなぁっていつも思う。   TKさん夫妻や娘さんたちにはもう何年もお世話になっている。 いつも暖かくて優しい、大好きなファミリーで私にとって大切な人たち。   泣きながらもTKさんといつも通りくだらない話をしたら、少し元気になって来て、やっとベッドから起き上がれた。   めちゃくちゃ食いしん坊の私が食べてないからこんな風にネガティヴになるんだ、体も冷えているし余計に良くない。 そう思って薬膳鍋を作って食べた。 やっとその気力が湧いた。 体が暖まりお腹が満たされたら少し気持ちも落ち着いた。 電話が無かったらまだベッドから出られないでいたかもしれない。 鍋を食べながらそんな事を思っていた。 温かい食べ物は人を安心させる。 ちゃんと食べようと思わせてくれたTKさんに感謝した。   そして、気持ちを切り替えた。 もしも悪性だった場合、スキーも陶芸もしばらく出来なくなる… だったら今なんともなくて普通に生活出来ている時間を無駄にしたくない! 3日間も泣いているだけしかしていなかったなんて、なんてもったいない事をしてしまったんだろう… そんな風に思って当初行く予定だった白馬へ滞在予定を短縮して数日間だけ行くことにした。   家に1人で居るのが辛すぎたこと、白馬のファミリーにも会いたかったこと、いろんな気持ちで白馬へ向かった。 会いたい人に会いに行った。 ここ何年も会いたい人には老若男女問わず会えるように意識して行動することにしている。   いつ誰がなんどきどうなるか?なんてわからないし、会っておけば良かったっていう後悔をしたくないと思うから会いたい人にはちゃんと連絡する様にしている。 もちろん都合が合わなくてナカナカ会えない人もいるんだけど…   TKさん夫婦にも白馬で会えた。というかTKさんたちも大変な時だったのにわざわざ会いに来てくれた。 IさんとMさんも来てくれた。 みんなでワイワイ夜遅くまで話した。 今思うと精密検査を受けて結果を待っているこの2週間の期間が気持ち的に一番不安定でツラい時期だった。 だけど私の周りには優しくてあったかい人たちがたくさん居てくれた。 そんな人たちに私はずっと支えられていた。   なんとなく悪性かもしれないという気持ちはこの2週間で強くなっていて結果的にはそのおかげで少しずつ覚悟が出来ていたんだと思う。 滑りに来て良かった。 ホントにそう思った。 滑っている瞬間は不安な気持ちを忘れていられたし、楽しくて優しい人たちと居るとその時は不安な気持ちを思い出さないで済んだ。   白馬でいつもお世話になっているファミリーも朗らかで優しい人たち。 年に1度のスノーボード体験はいっつもここんちのお父さんと次女のHちゃんに岩岳へ連れて行ってもらう。 スキーの様には滑れないけど、それがまた楽しかったりもする。   私はアホなのかもしれないけど、この時ホントに[今、なんの不自由もなく滑れているうちに出来る限り1日でも滑りたい!]と強く思った。 おかしいのかな、私?と思って母に言ってみたけど「そんなん普通、普通。悪いことばっかり考えてもどうにもならへんのやから、スキーも行きなさい。滑って楽しいんやったらいっぱい行きなさい。楽しい事、出来るのにやめへんでええんやから」というような事を言われた。   結果的には滑りに行くスケジュールが上手く調整出来なくてさほどは行けなかったし、ちゃんと歩くBCには1日も行けなかったシーズンになった…   そう思うと、今年は体力が劇的に落ちているとはいえスキーが出来ていることをすごく嬉しく思う。 もちろん作シーズン以前と同じというワケにはいかないことが多々あるのだけど、少しずつクリアして行ければ良いし、無理し過ぎず、焦らず過ごしていきたい。   今シーズンはついにTKさんファミリーとも一緒にスキーに行く予定。 今からとても楽しみ。...

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1月 22 2019

H+heliotrope金沢店さまへ器を納品しました!

金沢のH+heliotropeさんへ先日やっと新しい器をお送り出来ました! 少しバリエーションも増えたのでお店の皆さんでレイアウト替えをしてくださっています! 自然光が入る白くて明るくて抜け感のある棚に素敵に展開していただきました!! お送りしたのは ↓ 1.雪景色の様な釉の流れ方をする器のシリーズ。 こちらは小鉢やお茶碗サイズ、中くらいの鉢、フリーカップなどです。 現在、碗皿などを作っています。 こちらは本焼きが完了次第またお送りさせていただきます! 2.御影石の入った白い土を使い口元にトルコブルーの釉薬をかけたフリーカップ。 早速、お店のとっても可愛い顧客様がカップを天地逆さにして「これって富士山?」と山さん(お店の店長さんです)に聞いていたそうでその時の様子を送って来てくださいました! 可愛くて思わず微笑んでしまう写真です!! コレは意識していたわけじゃなかったのだけど、きっといっつも海岸に富士山を見に行っているからどこかで繋がったんだと思います。 和食器は気づくと日常生活の中にある風景とリンクしていることが多いです。 そんなお返事をしました。 お子さまたちは感受性もとっても豊かで、ものごとに対する素直な反応がとても素敵で可愛いなぁっていつも思います!   3.薄ピンクに金彩で縁取った小皿。 こちらは白に金彩のsérie habillerの色違いシリーズです。白の色番号はblonc今回新しく作ったピンクはroseです。 番号と言いながらも数字の羅列ではありませんが…笑   白とピンク一緒に使っても素敵かなぁと思い中皿、大皿サイズも今作っている最中です! これから春に向けての卒業や入学、就職のお祝いにも良いかなぁ?なんて思っています! ...

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1月 17 2019

陶器のシェラカップ

  何故私がシェラカップ型の陶器を作ろうと思ったのか?興味ないとか言わずにちょっとだけお付き合いください! 私1人では作ることが無かった器だから。これホントに!!   発端は1年以上前の2017年11月某日、前職(アウトドアブランドで働いていました)でのカタログ撮影の為に都内のとあるスタジオにデザイナーさん、このチームをコーディネートしてくれた方、フォトグラファーさん、そのアシスタントさん、スタイリストさん、私の6名でいた時に遡ります。 [caption id="attachment_10935" align="alignnone" width="300"] カタログのブツ撮りは斜俯瞰でテーマ毎にコーディネート撮影をしていました。 出来る限り色のトーンを合わせるようにもしていました。[/caption]   カタログ撮影は年に数回の限られた集まりではあったけれど、スタジオの雰囲気のせいなのか、最高のメンバーのせいなのか、とにかく毎回楽しみにしている仕事だったのは紛れもない事実で、このメンバーで出来るだけ長く仕事が出来たら良いなぁと本当に思っていました。   けれど、撮影の少し前に私は仕事を辞めることが決まってしまい、この日がこのメンバーでの最後の撮影日となりました。 数日前から「コレが最後かぁ…」と思うとものすごく寂しかったし、いつもより私はパワーダウンしてもいました。 辞めることをどのタイミングで皆さんに言おうかなぁ…と思いつつも、あんまり仰々しくするのも湿っぽいのも私らしくないし会話の流れの中でシレ~っと「実は今回で最後なんです。皆さんに会えるの」というような事を言った気がします。   ほんの一瞬微妙な沈黙が流れたのだけれど、やっぱり最高のメンバーだなぁって思ったのは第一声が「なんで?」とか「どうして?」じゃなくて「寂しい…」って言ってもらえたことでした。 「私の方が寂しいわぃ!」って言いそうになるのを堪えて、差し障りのない返事をした気がします。笑 「田中さんがアウトドア業界から居なくなるのは寂し過ぎる…」と改めて他の人からも言ってもらったときにはもう、かなり泣きそうになっていました。 絶対泣いちゃマズい(不細工過ぎるから)と思っていたからなんとか持ちこたえたけれど、実は今にも泣き出しそうなかなりヤバい状態でした。笑   一般的な大人ならば、こういう会話を社交辞令やリップサービスとして捉えるのかもしれないけれど、私の辞書には【社交辞令】も【リップサービス】も載っていません。 もしかしたらちゃーんと載っていたのかもしれないけれど、気づかないうちに味のしなくなったガムを捨てるときにでも包み紙代わりにビリっとやっちゃってポイっとほかしてしまったのかもしれない…   そんなわけで、この時のみなさんの言葉は、心から溢れ出てしまったホンネなんだと私は自分に良い様に受け取ってしまっていました。 私は社交辞令もリップサービスも使いこなせないクソほど不器用な人間です。 年だけは大人で、それどころか40を超えて初老の域に突入しているというのにいつまでたっても中身は子供のままだったりもします。 そう。残念なことに私は俗に言う【こどな=子供の気持ちのまんま大人として生活してる】なんだと思います。 この撮影チームはそんなこどなな私をも受け入れてくれる寛容な人たちでもありました。   なんやかんやと話していたなかで今でも親交のあるMr.Cが「陶器でシェラカップって作れないんですか?出来るなら作って欲しいなぁ」と言ってくれ、私はその言葉にものすごく温かさを感じました。 「仕事を辞めたら皆さんとこうやって会えなくなっちゃいますね…」なんてちょっとしょぼくれていた私にかけてくれた言葉だったから… あぁ、この人は私が仕事を辞めても会える人かもしれない。 そんな事を思うと胸が熱くなったのを今でも昨日のことの様に覚えています。 思っていた以上に仲間になれていたんだとも思いました。 そして、必ず作りますね!と私は約束をして年明け2018年の1月から制作に取り掛かりました。   [caption id="attachment_10939" align="alignnone" width="261"] あと付けの把手を付けるために器の本体部分だけ作った白土と赤土の試作品[/caption]   当初は通常の土で精密にシェラカップを再現しようと思って器を作っていました。 把手部分もどうにか細いものを作ろうとしていたけれど、それだと把手と本体の接合面が小さく、不可がかかりすぎて把手が折れてしまう… 細い把手は物理的に難しいから把手だけ後付け出来ないか?なども考えて色々と試してもみたもののなかなかシックリ来ず、途中で頓挫している時期もあったほどです。 [caption id="attachment_10940" align="alignnone" width="300"] 別素材の把手を付ける為に穴をあけて作ってみた試作品[/caption]   ナカナカ思うようにいかないので、一旦仕切り直して発想の転換をすることにしました。 煮詰まったら一度0ベースに戻すのが全てにおける私のスタンスです。 しつこく執着しないでサクっと手放す。 1つの方法に固執すると見るべきものが見えなくなるし色んな意味でもったいないし… 型を精密に再現するのが物理的に難しいなら【着想元がシェラカップのキャンプで使える器】にしちゃおう!!と考え方を変えました。 その際この器作りに必要なポイントとして ・丈夫さ ・直火OK ・キャンプ料理が美味しく感じる陶器ならではの暖かみ という3点をまずはポイントに挙げました。 [caption id="attachment_10941" align="alignright" width="300"] 菊練りした土[/caption]   そうなると必然的に落ち着いたのはろくろでの制作で耐熱の土と釉薬を使って直火にかけられるものにする。という手法になります。 そこまで決まると俄然進みも良くなりました。 現在、1st ,2ndサンプルを絶賛耐久テスト中で色んな料理をワンバーナーや自宅のガスコンロなどで作っています。   3rdサンプルも制作の最終段階に入りました。 コレはM r.Cの色別注でこの春には販売したいと考えているものです。 このオーダーをもらった時は心が弾みました。 単純に作っていて楽しいです。 一工程進むたびにワクワクしてしまいます。 制作開始から完成までには、ごく個人的な都合もあって(また別でも書き始めていますが昨年の春に手術をした為、思い通りに作陶できない期間が結構続いていました)時間がかかり過ぎてしまったけれど、信頼していたかつての仕事仲間とまた違うカタチで関わったり出来ることはすごく嬉しいです。 それも好きで続けて来た陶芸を通して… 私にとってこの上なく幸せなことです。   そんなわけで、この器を作ろうと思ったのは、ブランドPR時代にお世話になりまくっていた方のオーダーだったからで、ブランドにとって本当に色々と良くしてくださった方だったから、とにかくお礼の気持ちを返したいと当時から思っていたからです。 渡した時に喜んでもらうことを目指して、ただそれだけの気持ちで作り始めました。   ところが、陶器のシェラカップを個人的なSNSアカウントにUPしたら、思っていた以上に反響があり、老若男女問わず多くのアウトドア人たちからのレスをいただけました。   さすがだなぁ… お礼の気持ちを表したいと思って作り出した器は結局反対に私に色んなワクワクを与えてくれています。   私はブランドPR時代も、土こねババぁになった今も変わらずMr.Cにお世話になりまくっている。 感謝してもしきれない人の1人です。 早く作り上げてMr.Cに渡したい。(ファミリー分の4つを色違いで) 勝手にブログに登場させちゃったなぁ…と思いつつも、あまりにもいろんな人から面白いって言っていただくから、なおさら言いたくなったんです。 Mr.Cのあの一言が無かったらこの器を私が作ろうと思う事は無かったと思うから。 いや、あの方がすごいんですよ。マジで。 なのに、全然偉ぶったりもしないし、恩着せたりもしないし。 ご本人はそんなの大して気にしてないと思いますけど、そういう人ってやっぱりかっこいいです。 リスペクトしている方の1人です。 早くMr.Cに自慢気に「どうですか?コレ!」って言えるところまで完成させたい。笑    ...

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1月 16 2019

一年前の今日のこと【健康診断へ】

2018年1月16日:健康診断 有給休暇の消化が始まったばかりだった。 都内のクリニックで健康診断を受けるために久しぶりに渋谷へ。 定期券が無くなった今、健康診断だけの為に渋谷に出るなんて…とこの日は思っていたけれど、ココで受けてよかったと後日思うことになった。   2年に1度の婦人科検診は昨年受けていて問題無かったから特に今年受けないといけないわけじゃない。 だけど周りのフリーランスの友人たちが健康診断を受けていない様子を見ていたのもあったせいなのか、なんとなく[来年は健康診断を受けないかもしれないから]と思い、念のために受けておきたくなって当日に急きょ受付時に依頼をした。 すると、なぜ急に受けようと思ったか?の理由を受付で執拗に聞かれたので結構驚いたのを覚えている。 (無理なら仕方ないくらいのホントに軽い気持ちで受診可能かを聞いただけだったので…) 「なんとなく、来年は受けられ無いかもしれないし、母親も昔に乳がん手術をしているし、私も子宮筋腫をたくさん抱えていた事があるので念のため両方受けておきたい」と答えたらラッキーな事に受けさせてもらえた。 確か普段なら予約して無いとダメだけど、ちょうど今の時間ならまだ空きもあるから、みたいなことを言われた気がする。   各種の健康診断を受けたけど正直全く覚えていない。 覚えているのは乳がん検診のエコーの時間がものすごく長くて、寒いし冷たいし痛かったことくらい… 検査医の先生は私の事が嫌いなのかな?こんなに【親の仇】みたいにしなくても…と、とにかく痛みに耐えていた。 まだ続くなら痛いとそろそろ伝えよう…そう思っていた矢先に先生の手が止まって急に色々な質問をされた。 けど、そんな質問をされるというのが想定外だったからあんまり的確な返答を出来ていなくて、だいぶボンヤリした答え方だったと思う。   検診後の問診では、女医さんがとにかくピリピリした雰囲気で矢継ぎ早に質問をして来たのだけど、自分の事なのに昨年の検診結果がどうだったか?を私がちゃんと記憶していなくて即答出来ずにいた…(ということは問題点が無かったってことだと思うのだけど、あんまり気にもしていなかったから細かく聞かれると昨年の結果がどうだったのか?がわからなくなって来てた。この半年後くらいに見つけた昨年の健康診断結果を見たらオールAだったんだけど…) 今までに引っかかった事があったのは肺の徐脈、これはここ数年毎年聞かれるから既に大したことでは無いと気にしなくなっていたし、子宮筋腫は多量発生していた時期があって通院もしていたし投薬治療もしていた事もあるけれどそれも今は大丈夫なはず、だけどどうだろう…と… その2つの事を女医さんに伝えている途中で、もう、それはとにかく大したことじゃない。大したことないわけではないけど、それはまず置いといて先に解決しないといけない事がある、とりあえず。と次の話題にすぐに進めようとしていた。 後から思い返せば先生は全て分かっていたからなんだけど、その時はその女医さんのイライラしている感じがちょっと怖く感じた。   そして右胸に影がうつっていること、シコリがあるからとにかく明日にでも精密検査を受けた方が良い、ということを伝えられた。 何かおかしな事は無いか?とかこんな事はなかったか?あんな事は無かったか?と色んな症状的な事を聞かれたのだけれど、どれもこれもピンと来ておらず、あるといえばあったかもしれないし、でも歳も歳だし常になにかしら調子悪いもんだろうし…くらいの気持ちでボンヤリと聞いていた。 ま、どうせ良性だから。くらいにしかその日は思わなかった。というか急展開すぎて全く想像が出来ていなかったのかもしれない。 不安じゃ無いわけでは無かったけど、私に限ってそんな事あるわけない!と思い込んでもいた。 ここ何年も添加物は自宅では摂っていなかったし、お酒は好きだといえど体を壊すほど飲んだりもしない。 運動もハードではないにせよ夏はSUP、冬はスキーと楽しんでいたし、ほんのたまには登山もしていたし、よく働きよく遊んでもいて、健康的な生活を送っているという自負がどこかにあった。   女医さんがエコー検査をCDに焼いた物と紹介状的な物を書いてくれ手渡された。 病院は都内なら紹介できる所があるのだけど、家が葉山だから絶対に家の近くにした方が良い。だからと言って小さすぎる病院はダメだから専門の病院で通院が楽なところにしなさい。と細かなアドバイスをもらった。 多分毎日通う事になった時にその方が良い、と… そこまで言われているのに、私は心の中でまだ[大丈夫。きっと大げさに言っているだけだ。]と思っていた。 でも、流石に少しだけ心配になって母に電話をした。 「そうか…心配やなぁ…でもきっと大丈夫、きっと良性やから!」と母は言った。 「でも明日にでも受けなさい。検査は出来るだけ早く」と念を押され電話を切った。   冗談ばっかり言っていつも笑っている母の声のトーンがこの時ばかりは少し暗くなっていて、私は急にソワソワして気になりだした… そして家から通いやすいところで検査を受けるために病院へ電話。 どこだったか忘れたけれど1軒目は電話の向こうの応対がすごく怖かったのでやめにした。予約も随分と先にしか取れなかったし… 二軒目にかけた病院は業務的だったけれど1週間後に予約が取れたのでそこで検査をする事にした。   だけどまだ私はどこか楽観視していた。 もう40代だしどこかしらにガタは来てる。健康診断で引っかかるくらいは大丈夫!そう自分に言い聞かせた。 だけど、最悪の場合を想定してもいた。月末から住み込みバイトをさせてもらう予定だった白馬の知り合いにはもしかしたら行けなくなるかもしれないことを連絡し、申し訳無い気持ちになってもいた。   冷静でいようとずっと思っていた。けど正直あまり冷静では無かったと思う。 とにかく絶対大丈夫!と自分に言い聞かせていたし、不安はあるもののまだこの時の私は絶望してはいなかった。   ☆今日のこのブログは一年前に書き留めていた日記を元に一年前のことを振り返っています。 忘れてはいけないことがたくさんあってそしてまだ闘病生活が終わったわけでは無いことも、これから私がすべき事は何なのか?もやっと考えられる様になって来ました。 思い出すと辛い事はもちろんたくさんあります。 でも、家族や友達に支えられて私は今笑っていられる。 やっと辛かった時のことを「辛かった」って言える様になりました。 当時は辛すぎて辛いと言ってしまえない様なところがあったのだけど。 今年、経験を生かして何か出来ることがあるかもしれないと思いピンクリボンアドバイザーの資格を取得するため勉強をしようと思っています。  ...

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1月 14 2019

把手の無いストレートカップ

今日のお昼は手抜きパスタとカフェオレ。 お皿はお気に入りの金彩プレートsérie habiller plat20。 カップは最近焼き上がったストレートカップ。(のB品) 雪景色とか宇宙の様に見える流れる釉薬をいつものストレートカップに掛けて焼きました。 洋風のカタチに和風の釉薬が掛かっているのも案外良くて、この季節のカフェオレやミルクティーを飲むのにすごく合うなぁって思っています。 黒っぽい器なのでミルク系の白っぽい飲み物が美味しそうです。   ☆価格 お皿:¥5,000-(inc.tax ¥5,400-) カップ:¥3,000-(inc.tax ¥3,240-)...

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1月 13 2019

道具作り

今日は食後に作陶用の道具を作りました。 器の内径と深さを合わせる為のトンボです。   今週は器も毎日少しずつ作っていたので乾いて来たものはそろそろ素焼きが始められる予定です。 冬は乾くまでの時間もかかるので来週もしっかり作っておこうと思います!  ...

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1月 12 2019

Do It Yourself.

    Do It Yourself.   15年ほど前にアンティーク家具屋さんで買ったダイニングテーブルの天板がかなり傷んで来ていました。 メンテナンスに出すのはまたちょっとたいそうだなぁと思っていたり、HP に器と料理の写真を載せる際にテーブル面が濃い茶色だと全体的に暗いので(照明のせいでもあります)思い切ってカッティングシートを貼ってみました。     飽きたら剥がして貼り変えれば良いし、まずはやってみようと思いたち新年早々にシートを購入。 他にも撮影時の背景で使えそうな壁紙をいくつか購入しました。 薄い色の画用紙は以前ハンズで購入したのですがツルッとし過ぎていると寂しく見える時もあるので何パターンかの背景で撮ってみようと思います。(ハンズでは良さげな壁紙が無かったので買えませんでした) テーブルが白くなったので、晩御飯時にわざわざ撮影の為に紙を敷いて、それを外して、という事をしなくてよくなります。 出来れば出来立てのご飯を食べたいので、その紙の出し入れのひと手間がなんとなく切なく感じていたのでちょっと嬉しいです。(今日はオヤツの大学芋と緑茶です)     照明を明るくすれば良いのだけど、ナカナカ気に入ったデザインで採光条件も満たしているモノを見つけられないでいたのでひとまずの代替え策ではありますが、しばらくはこれでやり過ごしてみようと思います。  ...

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1月 09 2019

いつもの風景(定点観測)

逗子・葉山方面に住み始めてから日没時刻を気にする様になりました。 年中見に行くのですが、冬の間は特に空気が澄んでいてサンセットがすごく綺麗なので夕方に海岸へ行く頻度が夏よりも増えます。   このところ気付くと窓の外が真っ暗になってしまっていて見逃していましたが、今日はろくろ作業にひと段落ついたのが16時頃だったので急いでミルクティーを保温ボトルに入れて自転車でいつもの場所までひとっ走りしてきました! ほんの少し前まではこの時間だともう遅いなぁ…とサンセットを諦めていたのですが少し日が長くなって来ているのを実感しています。 今日は寒かったせいか海岸には人もまばらでしたが、それでも波打ち際を散歩する人やドッヂボールをしている子供たち、ランニングをしている人なんかがいてその穏やかな時間の流れを眺めていると幸せだなぁって感じました。 景色を眺めている人や走っている人をひっくるめた風景があったかく感じてとても好きです。   東京から通って遊びに来ていた頃は夏がこの町の1番良い季節だと思っていたけれど、住んでみたら秋~冬のこの町のオフシーズンがすごく好きになりました。 空が広くて澄んでいるこの季節、夏とは違った良さがあるから色んな人に遊びに来て欲しいなぁって思います。  ...

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