dialy | ucacoceramics - Part 5
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約一年前のとある2週間くらいのこと

約1年前のこと 2018年1月23日:精密検査 この前の健康診断はエコー検査だったから、今日はマンモグラフィーだなぁ… 痛いし嫌だなぁ…そんな気持ちで病院へ向かった。   まずは往診、その後色んな検査をして、その後また往診。 そこでお医者さんから優しい言い方ではあるけれど業務的に説明をされた。 「リンパ液の採取、細胞の採取をする注射をする。細胞の採取は針が太いから痛みがあるので痛み止めも打ちます。計3本の注射をします」。と言われた。 その時点で私はかなりのパニックになった。「細胞診の為??」なんだか思っていたよりおおごとっぽい… 注射は嫌いで採血ですら見てしまうと気を失いそうになる。 針先も怖い。 子供の頃の注射の日は朝から泣きわめいて親を困らせていた様なタイプだ。 未だに注射が怖い…   恐怖心と状況が理解出来ないパニックで私は座っているのに倒れかけた。 フラつく私を看護婦さんが支えて背中を撫でてくれたのがものすごく暖かくて何故だか涙がこぼれた。 結果が出るのは2週間後、またその時に来てください、と言われ次回の予約を入れて病院を後にした。 予備知識があればあんな風にテンパることも無かったのだろうけど、健康診断後の自分は悪性腫瘍の可能性なんて考えていなかったから何にもネットで調べたりもしていなかった。 だから、この検査の状況が予想をはるかに超えていて(マンモグラフィーだけで終わると思い込んでいたから)そこでやっとコトの重大さに気づいた。   検査を終え病院を出てバス停に向かう数分の間に涙が溢れて止まらなかった。 不安、恐怖、悲しさ、悔しさ、なんだかわからない感情が一気に押し寄せて来て冷静になろうとしても涙を止める事が出来なかった。 母から電話がかかって来たのでバスに乗らず雪が溶けて水たまりだらけの歩道を歩きながらこの日の検査内容を話した。   お店にお客様が来た、と言って母は途中で電話を切った。 そういうのが無ければ、私はいつまでもただ泣いて行き所のない感情を母にぶつけるだけになっていたと思う。 そうならずに済んだことを、その時お店に入って来てくれたお客様に感謝した。   バスに乗っている間も涙は止まらず家に帰ってベッドに倒れこんだ。 3日3晩ひたすら泣き続けていた。 何もする気力が出ず食べることすら出来ず… 「なんで私が?私は悪いことなんてしていないのに」「世の中は不公平すぎる」 そんな気持ちばかりで憤りを感じた。 泣きすぎて頭が痛くて仕方なかった。   そんな風に泣き続けていた3日目に電話が鳴った。 出るのをちょっと迷ったけど画面を見たらTKさんの名前が表示されていたから思わず出てしまった。 一応冷静を装って出た。 TVの前でうたた寝していて、TV消しなさい!と注意されている人が[寝てないよアピール]する時みたいな感じで普通を装ってはみたけど、泣きすぎてめちゃくちゃ鼻声になっているから私が泣いていたことはすぐバレた。 「どうしたんですか?大丈夫ですか?」そんなことを言われたんだと思う。 テンパりながら「大丈夫じゃないです。癌かもしれない…」と結局また泣き出してしまった。 恐怖心を抱えきれなくなっていたところに電話をもらえたから吐き出せて良かったんだと思う。   なんだかんだ話していた。 何を話していたのか覚えていない… けど、この世のものとは思えないほどブッサイクな顔をして泣いていた時にTKさんはいつも通り冗談を言って笑わせてくれた。何で笑えたのか内容は覚えていないけど。(笑) でも、あの状態から私を笑わせるなんてすごい。 ユーモアと人間的な温かさのバランスが素晴らしい人だなぁっていつも思う。   TKさん夫妻や娘さんたちにはもう何年もお世話になっている。 いつも暖かくて優しい、大好きなファミリーで私にとって大切な人たち。   泣きながらもTKさんといつも通りくだらない話をしたら、少し元気になって来て、やっとベッドから起き上がれた。   めちゃくちゃ食いしん坊の私が食べてないからこんな風にネガティヴになるんだ、体も冷えているし余計に良くない。 そう思って薬膳鍋を作って食べた。 やっとその気力が湧いた。 体が暖まりお腹が満たされたら少し気持ちも落ち着いた。 電話が鳴って無かったらまだベッドから出られないでいたかもしれない。 鍋を食べながらそんな事を思っていた。 温かい食べ物は人を安心させる。 ちゃんと食べようと思わせてくれたTKさんに感謝した。   そして、気持ちを切り替えた。 もしも悪性だった場合、スキーも陶芸もしばらく出来なくなる… だったら今なんともなくて普通に生活出来ている時間を無駄にしたくない! 3日間も泣いているだけしかしていなかったなんて、なんてもったいない事をしてしまったんだろう… そんな風に思って当初行く予定だった白馬へ、滞在予定を短縮して数日間だけ行くことにした。   家に1人で居るのが辛すぎたこと、白馬のファミリーにも会いたかったこと、いろんな気持ちで白馬へ向かった。 会いたい人に会いに行った。 ここ何年も会いたい人には老若男女問わず会えるように意識して行動することにしている。   いつ誰がなんどきどうなるか?なんてわからないし、会っておけば良かったっていう後悔をしたくないと思うから会いたい人にはちゃんと連絡する様にしている。 もちろん都合が合わなくてナカナカ会えない人もいるんだけど…   TKさん夫婦にも白馬で会えた。というかTKさんたちも大変な時だったのにわざわざ会いに来てくれた。 IさんとMさんも来てくれた。 みんなでワイワイ夜遅くまで話した。 今思うと精密検査を受けて結果を待っているこの2週間の期間が気持ち的に一番不安定でツラい時期だった。 だけど私の周りには優しくてあったかい人たちがたくさん居てくれた。 そんな人たちに私はずっと支えられていた。   なんとなく悪性かもしれないという気持ちはこの2週間で強くなっていて結果的にはそのおかげで少しずつ覚悟が出来ていたんだと思う。 滑りに来て良かった。 ホントにそう思った。 滑っている瞬間は不安な気持ちを忘れていられたし、楽しくて優しい人たちと居るとその時は不安な気持ちを思い出さないで済んだ。   白馬でいつもお世話になっているファミリーも朗らかで優しい人たち。 年に1度のスノーボード体験はいっつもここのお父さんと次女のHちゃんに岩岳へ連れて行ってもらう。 スキーの様には滑れないけど、それがまた楽しかったりもする。   私はアホなのかもしれないけど、この時ホントに[今、なんの不自由もなく滑れているうちに出来る限り1日でも滑りたい!]と強く思った。 おかしいのかな、私?と思って母に言ってみたけど「そんなん普通、普通。悪いことばっかり考えてもどうにもならへんのやから、スキーも行きなさい。滑って楽しいんやったらいっぱい行きなさい。楽しい事、出来るのにやめへんでええんやから」というような事を言われた。   結果的には滑りに行くスケジュールが上手く調整出来なくてさほどは行けなかったし、ちゃんと歩くBCスキーには1日も行けなかったシーズンになった…   そう思うと、今年は体力が劇的に落ちているとはいえスキーが出来ていることをすごく嬉しく思う。 もちろん作シーズン以前と同じというワケにはいかないことが多々あるのだけど、少しずつクリアして行ければ良いし、無理し過ぎず、焦らず過ごしていきたい。   今シーズンはついにTKさんファミリーとも一緒にスキーに行く予定。 今からとても楽しみ。   2019年1月29日...

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1月 16 2019

一年前の今日のこと【健康診断へ】

2018年1月16日:健康診断 有給休暇の消化が始まったばかりだった。 都内のクリニックで健康診断を受けるために久しぶりに渋谷へ。 定期券が無くなった今、健康診断だけの為に渋谷に出るなんて…とこの日は思っていたけれど、ココで受けてよかったと後日思うことになった。   2年に1度の婦人科検診は昨年受けていて問題無かったから特に今年受けないといけないわけじゃない。 だけど周りのフリーランスの友人たちが健康診断を受けていない様子を見ていたのもあったせいなのか、なんとなく[来年は健康診断を受けないかもしれないから]と思い、念のために受けておきたくなって当日に急きょ受付時に依頼をした。 すると、なぜ急に受けようと思ったか?の理由を受付で執拗に聞かれたので結構驚いたのを覚えている。 (無理なら仕方ないくらいのホントに軽い気持ちで受診可能かを聞いただけだったので…) 「なんとなく、来年は受けられ無いかもしれないし、母親も昔に乳がん手術をしているし、私も子宮筋腫をたくさん抱えていた事があるので念のため両方受けておきたい」と答えたらラッキーな事に受けさせてもらえた。 確か普段なら予約して無いとダメだけど、ちょうど今の時間ならまだ空きもあるから、みたいなことを言われた気がする。   各種の健康診断を受けたけど正直全く覚えていない。 覚えているのは乳がん検診のエコーの時間がものすごく長くて、寒いし冷たいし痛かったことくらい… 検査医の先生は私の事が嫌いなのかな?こんなに【親の仇】みたいにしなくても…と、とにかく痛みに耐えていた。 まだ続くなら痛いとそろそろ伝えよう…そう思っていた矢先に先生の手が止まって急に色々な質問をされた。 けど、そんな質問をされるというのが想定外だったからあんまり的確な返答を出来ていなくて、だいぶボンヤリした答え方だったと思う。   検診後の問診では、女医さんがとにかくピリピリした雰囲気で矢継ぎ早に質問をして来たのだけど、自分の事なのに昨年の検診結果がどうだったか?を私がちゃんと記憶していなくて即答出来ずにいた…(ということは問題点が無かったってことだと思うのだけど、あんまり気にもしていなかったから細かく聞かれると昨年の結果がどうだったのか?がわからなくなって来てた。この半年後くらいに見つけた昨年の健康診断結果を見たらオールAだったんだけど…) 今までに引っかかった事があったのは肺の徐脈、これはここ数年毎年聞かれるから既に大したことでは無いと気にしなくなっていたし、子宮筋腫は多量発生していた時期があって通院もしていたし投薬治療もしていた事もあるけれどそれも今は大丈夫なはず、だけどどうだろう…と… その2つの事を女医さんに伝えている途中で、もう、それはとにかく大したことじゃない。大したことないわけではないけど、それはまず置いといて先に解決しないといけない事がある、とりあえず。と次の話題にすぐに進めようとしていた。 後から思い返せば先生は全て分かっていたからなんだけど、その時はその女医さんのイライラしている感じがちょっと怖く感じた。   そして右胸に影がうつっていること、シコリがあるからとにかく明日にでも精密検査を受けた方が良い、ということを伝えられた。 何かおかしな事は無いか?とかこんな事はなかったか?あんな事は無かったか?と色んな症状的な事を聞かれたのだけれど、どれもこれもピンと来ておらず、あるといえばあったかもしれないし、でも歳も歳だし常になにかしら調子悪いもんだろうし…くらいの気持ちでボンヤリと聞いていた。 ま、どうせ良性だから。くらいにしかその日は思わなかった。というか急展開すぎて全く想像が出来ていなかったのかもしれない。 不安じゃ無いわけでは無かったけど、私に限ってそんな事あるわけない!と思い込んでもいた。 ここ何年も添加物は自宅では摂っていなかったし、お酒は好きだといえど体を壊すほど飲んだりもしない。 運動もハードではないにせよ夏はSUP、冬はスキーと楽しんでいたし、ほんのたまには登山もしていたし、よく働きよく遊んでもいて、健康的な生活を送っているという自負がどこかにあった。   女医さんがエコー検査をCDに焼いた物と紹介状的な物を書いてくれ手渡された。 病院は都内なら紹介できる所があるのだけど、家が葉山だから絶対に家の近くにした方が良い。だからと言って小さすぎる病院はダメだから専門の病院で通院が楽なところにしなさい。と細かなアドバイスをもらった。 多分毎日通う事になった時にその方が良い、と… そこまで言われているのに、私は心の中でまだ[大丈夫。きっと大げさに言っているだけだ。]と思っていた。 でも、流石に少しだけ心配になって母に電話をした。 「そうか…心配やなぁ…でもきっと大丈夫、きっと良性やから!」と母は言った。 「でも明日にでも受けなさい。検査は出来るだけ早く」と念を押され電話を切った。   冗談ばっかり言っていつも笑っている母の声のトーンがこの時ばかりは少し暗くなっていて、私は急にソワソワして気になりだした… そして家から通いやすいところで検査を受けるために病院へ電話。 どこだったか忘れたけれど1軒目は電話の向こうの応対がすごく怖かったのでやめにした。予約も随分と先にしか取れなかったし… 二軒目にかけた病院は業務的だったけれど1週間後に予約が取れたのでそこで検査をする事にした。   だけどまだ私はどこか楽観視していた。 もう40代だしどこかしらにガタは来てる。健康診断で引っかかるくらいは大丈夫!そう自分に言い聞かせた。 だけど、最悪の場合を想定してもいた。月末から住み込みバイトをさせてもらう予定だった白馬の知り合いにはもしかしたら行けなくなるかもしれないことを連絡し、申し訳無い気持ちになってもいた。   冷静でいようとずっと思っていた。けど正直あまり冷静では無かったと思う。 とにかく絶対大丈夫!と自分に言い聞かせていたし、不安はあるもののまだこの時の私は絶望してはいなかった。   ☆今日のこのブログは一年前に書き留めていた日記を元に一年前のことを振り返っています。 忘れてはいけないことがたくさんあってそしてまだ闘病生活が終わったわけでは無いことも、これから私がすべき事は何なのか?もやっと考えられる様になって来ました。 思い出すと辛い事はもちろんたくさんあります。 でも、家族や友達に支えられて私は今笑っていられる。 やっと辛かった時のことを「辛かった」って言える様になりました。 当時は辛すぎて辛いと言ってしまえない様なところがあったのだけど。 今年、経験を生かして何か出来ることがあるかもしれないと思いピンクリボンアドバイザーの資格を取得するため勉強をしようと思っています。  ...

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