母が逗子へ来た日 | ucacoceramics
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母が逗子へ来た日

2018年2月25日

昨年のこの日は数日後に病院へ結果を聞きに行くため、前入りで母が来る日だった。

 

その前にS先輩が娘さんを連れてウチまでわざわざ遊びに来てくれた。

 

春の桜まつりの時に器のポップアップイベントをさせてもらえるという事で打ち合わせを兼ねて器を見に来てくれることになっていた。

 

メールでうまく伝えるのも難しかったこともあり会うまで病気のことを先輩に伝えられずにいた。

 

せっかく楽しみにしているイベントなどの楽しいことだけを考えていたかった。

 

もし手術をしなきゃいけないとしても、手術前にたくさん作ってイベントが終わってから手術すれば良い…

そんな風に思ってもいた。

 

というか手術をするかしないかもどうなるか?も検査結果が出るまで先が何も決まらない状態だったから予定を何も決められないでいた。

 

会ったときに病気のことを先輩に話した。

昔からたくさん喋る感じの人ではなくて、だけどとても深い優しさと芯があるタイプの人で、めちゃくちゃお洒落でカッコ良い女性だ。

 

私が辛くならない様に先輩が言葉を選びながら話してくれているのが伝わって来た。

そして応援するとも言ってくれた。

そういう先輩の言葉がものすごく私を支えてくれた。

 

 

この頃は病気に対する悲しさより、たくさんの人たちの優しさに感動してよく泣いていた。

私はものすごく恵まれていて幸せなんだと本当に思った。

 

 

夕方、母は父が運転する車でやって来た。

色んな食材やらなんやらを運んで来てくれた。

父は私のために家庭菜園のプランターやら土やら一式セットを買って来てくれた。

父はそれらをうちのベランダにセットして京都へトンボ帰りしていった。

疲れるだろうし泊まっていけば?と何度か言ったのだけど帰っていった。

多分、私の顔だけ見に来たんだと思う。

言葉が足りない人だけれど父はとにかく優しい。

 

だからなんだかんだ言いながらも母はずっと一緒にいるんだと思う。

自分自身が結構な年齢になるまで、なぜ母が父とずっと一緒にいるのか?に疑問を持っていた時期もあったけれど(笑)最近になってようやくわかって来た気がする。

 

 

一年後の現在、2019年の2月末は1年検診を受けて結果を聞きに行く。

年明けごろからずっとソワソワしていて検診に対してのちょっとした不安から来る緊張感で気持ち的にはあんまり落ち着かない。

なので友達にも出来るだけ会うようにしたりスキーにも出かけたりして、笑う機会を増やす様に心がけている。

去年の今頃はたくさんの人たちの優しさに触れてよく泣いていたけど、今年はたくさんの人たちと笑って過ごせている。

そんな日々をつくづくありがたいと思う。

これからもずっとずっと笑って過ごしたい。

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