ucacoceramics | breast cancer
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7月 15 2019

闘病中の気持ちを上げてくれたアイテム

友人夫妻が手掛けているシルクランジェリーブランドBasaraがお得なSALE開催中です! しっかりとした厚みをもちながらも軽やかな着心地と肌触りの良さが抜群のシルク素材を使用した美しいランジェリーブランドBasara お肌に縫い目が当たらない様に袋縫いで縫製したり、程よいエレガントさを保つために(勝手にそう思ってるけどホントのところどうかは聞いてない)表にステッチが無いところも素敵なこだわりのブランド。 細く華奢なストラップも袋縫いになっていてその技術力にも感激してしまいます。 ここ1年くらいで他のブランドなんかでも急激に増えて来ているけど@basara_silk ではずっとノンワイヤーブラを推奨しています。 Basaraがデビューした頃はまだ世の中的には“寄せて上げる盛りブラ”が主流でした。(今も?なの?) そんな時に先陣を切ってブランドを立ち上げたところも心意気を感じて好きだったりします。 元々、私自身が寄せも上げもしないインポートランジェリーを好きだったのでカチッと盛るブラ依存の人に比べると抵抗がなかった事もありますが、何か新しい風を起こそうと行動を起こす人には強い共感を覚えます。そんなことも含めてこのブランドを好きです) ブランドデビュー当時から愛用しているのですが、昨年乳がん手術をして以降は化繊のレースなんかが肌に当たると痒くて仕方がなくて可愛い下着はBasaraしか使えなくなっていました。(元々持ってたインポートの総レースのものは痒くて使えなくなりました) やっと最近色んなことが落ち着いて来て肌もかなり復活しているので(去年はまだ放射線治療でそこそこ広い範囲で軽い火傷状態になっていてカサカサでカユカユでした)以前の様には痒くならないけど、それでもやっぱりBasaraが心地良いです。 初年度に買ったものはさすがにちょっとくたびれて来たけどまだまだ使えるし、そして何よりめちゃくちゃ可愛い。 友達からもいっつも“ゆかこさんの下着可愛い!何処で買えるの?”って温泉とかの時に聞かれます。 決して安いものでは無いけど肌に直接触れるものだから化繊のものより天然繊維が良い。 全ての女性におススメ出来るブランドだけど、私と同じく乳がんを体験した人には更にすすめたくなります。 もちろん切る場所で布と傷が干渉するかしないかも人それぞれで違うから一概には言えないけど、締め付けが無くて素材が優しくて縫い目が干渉しにくいからめちゃくちゃ良いです。 とはいえ、術後はさすがに傷に干渉したし(私は結構そういうのに敏感な方なので)放射線の痕もこすれると色素沈着してしまうのでしばらくはエアリズム的なもので我慢してました。 だけど、Basaraを持って無かったら1年以上エアリズムのタンクトップ型を使ってなきゃいけないところだったもんな。。(エアリズムは楽だし傷にも全く干渉しないし脱ぎ着もし易いし安いし楽なので正直放射線治療中と治療終了後数ヶ月はとてもお世話になりました。だけど全くもって可愛く無いから毎日洗濯の度に気持ちがめちゃくちゃ萎えたのを思い出します😅) 術後しばらくして、やっとBasaraを使えるくらいになって来た時、すごく嬉しかったし気持ちも明るくなったから… ホントにBasara様さまです。 いくつになったって、どんな状況であったって女性にとって可愛いっていうのはめちゃくちゃ大事なんだと思います。 それだけでご機嫌になれるんだから! だからこそ、乳がん治療を終えてあとは治すだけ!って人にもオススメしたい。 下着が可愛いことで傷モノになってしまったちょっとダメな自分のおっぱいへの切ない気持ちがかなり和らぐから! 乳がんサバイバーのみなさま、是非Basaraをチェックしてみてください!(instagramではお得な情報なんかもタイムリーに見れます!) きっと明るい気持ちにさせてくれると思います。   そして、今秋冬のコレクションからは乳がんサバイバーの方などに向けたカバレッジラインも出るそうです。 私は既にかなり回復しているので通常のBasara をそのまま使うけど、次のコレクションの中にあったパッド付きのキャミソール(これもカバレッジラインなのかな?)はサンプルを試着させてもらってすごく気に入りました。 インナーはやっぱり出来るだけシルクが良いです… 放射線治療でグッタリしている人が居たら、Basaraのランジェリーで気分を上げてみてください! 私の場合ではありますが、術後数ヶ月後にはB002のタイプが傷に干渉しなくてつけやすかったです。 (私は乳がん患者の約70%強の人(1番症例の多い)に現れる右上の腫瘍を切除しています。切った箇所は右側面で腕を下ろせば隠れる位置です。B002だと私の傷には触れることなくすごく快適に着けていられました) 今はデザインが好きなB001でも傷の痛みも干渉も気にならなくなりました。 ヨガやピラティス、プランクなどのトレーニングも出来るくらいまで復活しています!...

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手術の日

2018年3月19日  手術の日   手術台に乗って寝転んだら音楽がかかった。歌声はマリーナショウなんだけど、かかった曲目は坂本九の上を向いて歩こうだった。 思わず涙が溢れ出た。 九ちゃんスゲー。歌で泣かすなんて。って思っている自分もいた。 心配した看護婦さんが手を握ってさすってくれた。     程なくしてつけられたマスクから全身麻酔が効いて周りの声も聞こえなくなった。     名前を呼ばれて意識が戻った時に「無事終わりましたよ」と言われたけど、「えっ?もう終わったの?いつの間に?」というくらい一瞬の出来事のように感じた。     病室に運ばれグッタリしていた。 色んな管がついているのが痛かった。 病院嫌いで薬が嫌いで注射が嫌いな私にとっては自分の体に管が付いているのはけっこう屈辱的なことだった。 違和感というか異物感がものすごく嫌だったけれど動くと痛いからしばらくの間はとにかくじっとしていた。   まだ麻酔が切れていないのか、話すこともままならず、母や父がベッド脇にいるのはわかっているのだけど声が出なかったし身動きも取れなかった。   先生が母に「傷痕見ますか?」と聞き、見たいと言ったあとの母の第一声が「いや、すごい綺麗やわぁ、全然わからへんやん。私のとえらい違いやわ!」とケロっと言っているのが聞こえて、朦朧としつつもめちゃくちゃホッとしたと同時に、母に「言い方!」ってツッコミたい気持ちにはなった。笑     もちろんそんなこと出来ないくらいグッタリしていていつもみたいに突っ込めない自分がもどかしかった。 そんな事を思っていられるくらいの気持ちの余裕は生まれて来ていた。   体は辛いけど、気持ち的には術前よりかなり楽になっていた。   もちろん、回復して家に戻った後にこの日の母のあの態度に対してはしっかり突っ込ませてもらったけど。笑  ...

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入院当日のこと(ちょうど一年前)

2018年3月18日 入院 この日の午後に病院へ向かう事になっていた。 午前中に、前日に作っていたシェラカップ型の器の削り作業をした。(試作中だった。試作の流れはこちらへ)     手術をしたらしばらくは電動ろくろや土をこねる作業なんかが出来ないことがわかっていたから、とにかく退院後に帰って来た時に焼いたり釉薬をかけたり金継ぎをしたりして気持ちを紛らわせられる様にと思ってたくさん器を作っていた。   数日前にはコーヒーポットとドリッパーも完成させていた。   術後少しずつ電動ろくろを使えるようになっても、きっと大きなものや高さのあるものをすぐには作れないだろうから、何かカタチを残したいと思って大きめのものを作りたいと思い作ったのがコーヒーポットとドリッパーのセットだった。     とにかく手術を決意した時から入院の当日までろくろばっかり回していた。 心を穏やかにするためにろくろを回しているのに涙が溢れて手元が狂うことは何度もあった。   それでも久しぶりの大きな作品を作り上げて出発のギリギリまで陶芸をしていたら、病院へ向かうこの日、私の気持ちはなんだかとても晴れやかだった。   帰ってきたらこの器が乾いているはずだから焼き上げるのが楽しみにもなった。 そうやって退院後の楽しみをたくさん残して家を出た。     病院へ着き諸々の問診を受けたりしていた時に看護婦さんから好きな音楽は?と聞かれた。 キョトンとしていると看護婦さんは「患者さんがリラックスして手術を受けられる様に好きな音楽をかけるんですよ」と言った。 流石に手術でロックやR&Bだとお医者さんの手元が狂ったらやだな、と思って(笑)じゃあジャズで、と言ったら何かお気に入りはありますか?と聞かれたので、その時期にたまたまマリーナショウを聞きながら作陶していたこともあり(根暗か!)それを伝えた。 頭の中に浮かんでいたのはもちろんあのアルバム。   看護婦さんは若そうだったから知らなかったみたいでメモを取っていた。     _________ 今年はのんびりと鶯の練習する鳴き声を聞きながらのんびりと朝ヨガをしている。   去年のあの色々な辛さがまるで嘘の様だし、こんな風に過ごしていられる日々に感謝。   心がザワつか無いで居られるって幸せだなぁとつくづく思う。    ...

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とにかく轆轤をひきたいと思っていた

2018年3月5日 先輩へ連絡 以前話していたポップアップイベントの日程を決めたいと思った。 それを第一優先にして手術日程を決めようと思っていた。 けど、先輩は今回じゃなくてもGWでもお盆休みでもいつでも出来るから、まずは体が優先だから治してからにしない? ベストな状態で一緒に楽しみたいから、と返事をくれた。 涙が止まらず「甘えさせてください」と返信した。 まずは早く治してしまおう。 先輩の優しさがすごく沁みた。 そしてものすごくホッとした。   先輩のおかげで、私はポップアップイベントをゴールではなくてスタートにさせてもらえた。     2018年3月6日 病院へ Sさんのおかげでやっと心が定まって術式を決められた。 この日、手術日程も決めた。 それは昨日の先輩の言葉が早く治してしまって早く前に進みたいと思わせてくれたことも大きかった。 この日も母について来てもらった。 病院の空いている日の候補をいくつか聞いて、母のスケジュールと合わせて19日に手術をすることに決めた。 先生には「部分でお願いします。開いてみて思った以上に広がっていて切除部分が大きくて胸のサイズの左右差がひどくなるなら全摘に切り替えて欲しいです」と伝えたら「わかりました。出来る限り目立たない様に綺麗にします」と言ってくれた。     2019年 今年はと言えば、昨日も今日も黙々と轆轤をひいていた。   今月末に発売される媒体に掲載していただく器のシリーズを作って常設店舗さんへ納品したいというのがあってそれを中心に作っていた。   去年も黙々と轆轤をひいていたんだけど、去年は何を作るかはちゃんと定まってはいなかった。 術後、土をこねたり轆轤が出来ない期間があるだろうから、今のうちにとにかく作りまくっておこう。そんな気持ちだった。   退院して帰ってきた時に、素焼き、釉薬掛け、本焼き、金継ぎ修繕なんかのやるべき事をたくさん作っておこうと決めてとにかく土を触っている時間を増やしていた。...

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一応ホッとした

2018年3月4日  葉山の友人宅へ 以前の仕事で知り合ったMさんは家も近くて家族ぐるみでご飯を食べたりしてもいたけれど病気のことは話していなかった。     たまたま共通の知人がMさん宅に遊びに来ていて彼女から呼ばれたので母と一緒に行くことになった。 呼ばれた時は正直家でゆっくりしたいと思っていたのだけど、母は出来る限り普通でいなさい、必要以上に考え込むなと言っていて、せっかく声をかけてもらったんだから行って来なさい、と私を後押しした。     とにかく気持ちが滅入っていて1人でそこまで行く気力がわかず(歩いてたったの20分の距離なのに)母について来て欲しいと言ってバスで向かう事にした。 (その場で紹介されたyさんにはのちにとてもお世話になり某有名媒体で私のうつわを使っていただくことになる)     あまりにも私がグッタリしている理由を飲んだ勢いでバンバン話を進めて行く彼女にちょっと驚いた。酔ってるんだろうなぁ…と黙って聞いていた。 グズグズしている私の代わりにあっけらかんとそれに答えて行く母。     実は乳がんになっていたこと、手術をしなきゃいけないのに私が手術をしたくないと言い出した事なんかをみんなの前で母はさらりと言い出した。 (隠しているわけでもなかったけれど他人さんに話すのはパワーがいる話で、その都度平静を装うのがしんどいというのがその時の本音だった。)     でも受けなきゃ進行して死んでしまう。 手術を受けずに過ごしていた人のブログやネット情報を読んだらすごく辛そうだった。 それはやっぱり嫌だから結局のところ手術を受けるんだけど、体を切り刻むなんて怖いし出来る事なら手術をしたくないと言ったらMさんの奥さん(Sさん)が色々と諭してくれた。     私は彼女の言葉が無かったらいつまでもグジグジ言って逃げ腰だったと思う。 奥さんの言葉はとても冷静で、でも暖かくて、気持ちを尊重してくれているのが1つひとつの言葉の選び方から伝わってきた。     何故あんなにグズグズしていたのか?というくらい私はグズっていた。 そのくらい手術をした後のことが不安だった。(利き手が使えなくなって陶芸出来ないこと)     母の友人の乳がん体験者の看護婦さん、担当の看護婦さんにも支えられていたけれど、Sさんの言葉は私に冷静さを取り戻させた。 看護婦さんって素敵な人がなる職業なんだなぁとこの時心底思った。(Sさんも看護婦さん) “白衣の天使ってホンマやん”なんて思っていた。     とにかくこの頃の私は過去最も意気消沈していて覇気がなかったと思う。     本当にグッタリしていた時期で、多少のことでは目の下にクマが出来ることもなけりゃ、白髪になることもなかったさすがの私も、この時期は両方現れていて鏡で見た自分の顔を見てハッとした。     今年は治療で飲んでいる薬の副作用で気掛かりな子宮体癌の検査を受けに行った。 (先日の一年検診のCTでちょっと引っかかっていたので)     午前中に受けた検査では半年前にも診てもらった女医さんの問診で色々聞かれたことに答えて質問なんかもしたらバシッと答えてくれたからかなりホッとした。 内容がどうであれハッキリ言ってもらいたい。 私の性格的な部分もあるのだろうけどグレーな物言いほどモヤモヤしてしまうことはない。 とりあえず聞いた雰囲気的には子宮体癌ではなさそうで、かなり気が楽になった。 悪性腫瘍じゃなければまぁ大丈夫だろう、と。     けど、異常に大きな影が写っているからエコーでは確認しきれないしMRIを撮っておこうということになり、午後スポット的に空いていた時間に予約を入れてもらった。 スムーズに予約出来たのは良い流れだと思う。     またこれで1週間待ちとかだとモヤモヤが炸裂してしまう。 基本的にはそのモヤモヤした待ち時間が1番嫌だから…     結果は来週聞きに行くのだけど、多分大丈夫だと自分的には思っている。 MRIのあんなうるさくて狭い場所の中ですら、最後の方は寝てしまっていたし、多分そのくらい緊張感のない精神状態だったから大丈夫だと思う。 とにかく悪性腫瘍じゃなくてホッとした。 良かった…    ...

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2月27日は去年も今年も病院で検査結果を聞く日になった

2018年2月27日 母と共に病院へ   病状をお医者さんから説明され始めたけど、正直ちんぷんかんぷんで何を言っているのかわからなかった。   ネットとかで病気のことを調べたりしない様にと事前に看護婦さんから言われていたから本当に何も調べなかった。 というか怖くなるからあまり知りたくなかったのもある。   そのかわり手渡された乳がんのことが書かれた資料は全部読んだというか目を通した。 読んだのだけれど、なんというか自分ごととして捉えることがまだ出来なくて読んでもキチンと理解出来ていなかった。   自覚症状がイマイチ無くてピンと来ていなかったのもある。(結構なシコリの大きさだったのだけれど)   予備知識が少ないから、正直自分の症状がどんな感じなのか?がピンと来ていなかった。 質問は無いですか?と聞かれ、聞きたいことがあるのだけど怖くて聞けないでもいたし、理解が追いつかなかったからちょっとボンヤリしてしまってもいた。     結果的には手術をしなきゃいけなくて、もうこの日に手術日も術式も決めてしまわなければいけなかった。   私は先生に「もし先生の奥さんや娘さんが私と同じ症状で同じくらいの進行具合だったら、先生は全摘と部分、どちらをすすめますか?」と聞いた。 先生は一瞬、こいつはなにを…という感じで目が泳いでいたけど、「今田中さんに伝えたことと同じように言う。見た目の好みの問題だから」と冷静に答えた。   手術が早いに越したことは無いらしかったのだけれど、正直その場ですぐには決められなかった…   今までの私は決断に迫られた時も、結構色んな事をアッサリと決めて来たし(実はそうでもないこともあったけど周りからは簡単そうに決めている様に見えたらしい)比較的腹をくくることにも慣れていて即断即決できるタイプでもあった。(まぁ、そんな大きな決断をしたことが無かったのかもしれないけど) ほとんどのことはどうにかなると思っていたし、どうにもならないとしてもどうにかするしかないと思っていたのもある。     だけど、今回はすぐに決断出来なかった。 術式を決められず迷ってしまった。 どっちが良いかわからないというだけでなく、なんとなく手術を後回しにしたい様な気持ちになっていた。 考えたいから持ち帰って良いですか?とお医者さんに言ったら1週間後には返事を出せますか?と急かされた。 進行のゆっくりな癌だとはいえ1日でも早く手術した方が良いことには変わりない。と言われた。 仕方なく「はい」と答え病院をあとにした。     その日に京都に帰って手術時にまた来る予定だった母に、来週まで一緒にいて欲しいと頼んだ。 1人でいる方が落ち着いていられると思っていたけど、それはただそう思いたかっただけで、本当はものすごく不安だったんだと思う。 母にそばにいてほしいと心底思った。     普段の私は1人でいることが比較的好きなのだけど、この時はさすがに1人ではいられなかった。 不安感というか恐怖心なのかなんともいえない不安定な気持ちになっていた。   それでも毎日陶芸だけはしていた。 ろくろを回していないと要らぬ情報を携帯で調べてしまうし、とにかく土を触っていたくてその時間を増やした。 土を触っていると少しでも気持ちが和らいだしフラットになれた。     翌週に返事をするまでの1週間は気持ちがずっとグラついていて何度も何度も迷っていた。(この1週間の間に色んな人から助言ももらい、その都度気持ちがフラフラとして決められなかった)   ほんのちょっとしたことで迷ってしまっていたし、“どうして有識者であるお医者さんが決めてくれないんだろう…”とも思っていた。   考えなきゃいけないのだけど考えたくもなくて自分のことなのにどうでもよくなっても来た。   手術なんてしないでこのまま(なんの不自由も今はないんだし)ストレス無く暮らしていれば治るんじゃないのか?とも思った。   眠れなくて、手術をしないでいた人のブログなんかを夜中に読み漁りだしてもいた。   他にも何人かの友人から色んなネットの情報が届いた。 けれど、何が正しいのか?が全くわからなくて理解出来ていないから色々届くフンワリとした情報はどんどん自分を迷わせていった。   でも手術はしないといけない。 ずっとモヤモヤしていて、逃げる様にろくろを回していた。     母の時は術後に土を触るなとお医者さんに言われたと言っていた。 私はそこにすごく引っかかっていて【土を触れなくなるのがすごく嫌】だった。   今の自分から陶芸が無くなったら私には何も無いじゃ無いか?という焦りや苛立ちがあった。 なんで私がこんな目に合うのか?とやっぱり思ってしまった。 100歩譲ってそれ以外の事はもうホントにどうでもいいし忘れよう。 だけどせめて陶芸だけは続けさせてや!そんな気持ちになっていた。   陶芸が出来なくても大丈夫だよ!その時はその時だから!と励ましてくれる友達もいたけれど、そんな日々をどうやって乗り越えれば良いのか?の想像がその頃は全くつかなかった。     色んな気持ちが入り交じって手術をするのがものすごく怖くなってしまい、「手術はしない」と私が言いだしたら母は泣いた。 呆れていたのかもしれないし怒りの頂点に達していたのかもしれない。 なんでそんなことを…とただ泣いていた。 泣きたいのは私やわ!と泣きながら母にあたった。     そんな風に日々気持ちがグラつき激しく落ち込んだり泣いたりして1日の中でも気持ちは揺れっぱなしだった。 【自分でも決められないしお医者さんに選択を委ねることもできない】という状態にフラストレーションが溜まっていた。 こんなにも自分は決断力がないのか?と我ながら呆れた。選ばなきゃいけない二択はどっちも選びたく無い!そうとしか思えなくなっていた。     1年後の今日は1年検診の結果を聞きに来た。 いくつか気になる点はあったものの胸は両方とも再発しておらず、肺や肝臓への転移も見られ無かった。   ホッと一安心する間も無くお医者さんから「子宮筋腫が異常に大きくなりすぎているから婦人科検診を受けるように」と言われた…   一難去ってまた一難… 心配ごとがなかなか消えてくれない。 半年前にも色々と心配で婦人科検診を受けてはいた。(薬の副作用で子宮体癌になる可能性が上がることがわかっていて、異常に酷い鈍腹痛や腰痛、その他諸々が気掛かりで受けた) その時点で既に筋腫の量がちょっと多いこと、大きめのものが3つほどあるから半年後にまた必ず検査を受けるように言われていた。(ことを忘れていた。というか筋腫がチョコチョコあるくらいは普通だし…)     けど、今回はその大きさが異常だとのこと… 見せられたCTでは全面的に写っているモノを指して先生が「コレが筋腫。おっきいでしょ。赤ちゃんみたいに」って言うんだけどその例え、出産経験のない人間には全然伝わらない…ってホントに思った。けど、えっ?ソレ?というくらいの大きさの物をお医者さんは筋腫だと言った。 子宮全体とほぼ同じ大きさですけど…その影…と思って絶句してしまった。     今日すぐに検査を受けてくれば良かったのだけど、前回と同じ女医さんが良いと思って日を改めることにした。 正直、色んな検査の中で婦人科検診は嫌いな検査の1.2を争う。 もう半年経ったのか…と思うとゲンナリする。 おおごとでなければ良いのだけど…   出来ることなら漢方で緩やかに治せる程度であってほしい… もう手術はしたくないし、薬もこれ以上飲みたくないなぁ…   ただ笑って過ごしていたいだけなのに…   ネットで要らぬ検索をしてしまわないように今日もろくろを回そうと思う。時間がある限り、作陶する。   今の自分に必要なのは土に触れて心のざわつきを静めることだと思う。...

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母が逗子へ来た日

2018年2月25日 昨年のこの日は数日後に病院へ結果を聞きに行くため、前入りで母が来る日だった。   その前にS先輩が娘さんを連れてウチまでわざわざ遊びに来てくれた。   春の桜まつりの時に器のポップアップイベントをさせてもらえるという事で打ち合わせを兼ねて器を見に来てくれることになっていた。   メールでうまく伝えるのも難しかったこともあり会うまで病気のことを先輩に伝えられずにいた。   せっかく楽しみにしているイベントなどの楽しいことだけを考えていたかった。   もし手術をしなきゃいけないとしても、手術前にたくさん作ってイベントが終わってから手術すれば良い… そんな風に思ってもいた。   というか手術をするかしないかもどうなるか?も検査結果が出るまで先が何も決まらない状態だったから予定を何も決められないでいた。   会ったときに病気のことを先輩に話した。 昔からたくさん喋る感じの人ではなくて、だけどとても深い優しさと芯があるタイプの人で、めちゃくちゃお洒落でカッコ良い女性だ。   私が辛くならない様に先輩が言葉を選びながら話してくれているのが伝わって来た。 そして応援するとも言ってくれた。 そういう先輩の言葉がものすごく私を支えてくれた。     この頃は病気に対する悲しさより、たくさんの人たちの優しさに感動してよく泣いていた。 私はものすごく恵まれていて幸せなんだと本当に思った。     夕方、母は父が運転する車でやって来た。 色んな食材やらなんやらを運んで来てくれた。 父は私のために家庭菜園のプランターやら土やら一式セットを買って来てくれた。 父はそれらをうちのベランダにセットして京都へトンボ帰りしていった。 疲れるだろうし泊まっていけば?と何度か言ったのだけど帰っていった。 多分、私の顔だけ見に来たんだと思う。 言葉が足りない人だけれど父はとにかく優しい。   だからなんだかんだ言いながらも母はずっと一緒にいるんだと思う。 自分自身が結構な年齢になるまで、なぜ母が父とずっと一緒にいるのか?に疑問を持っていた時期もあったけれど(笑)最近になってようやくわかって来た気がする。     一年後の現在、2019年の2月末は1年検診を受けて結果を聞きに行く。 年明けごろからずっとソワソワしていて検診に対してのちょっとした不安から来る緊張感で気持ち的にはあんまり落ち着かない。 なので友達にも出来るだけ会うようにしたりスキーにも出かけたりして、笑う機会を増やす様に心がけている。 去年の今頃はたくさんの人たちの優しさに触れてよく泣いていたけど、今年はたくさんの人たちと笑って過ごせている。 そんな日々をつくづくありがたいと思う。 これからもずっとずっと笑って過ごしたい。...

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一年前は都内で 今年は逗子で222

2018年2月22日 この日はずっとお世話になっているZさんとAさん、そしてすごく久しぶりにお会いするKさんと4人で都内のレストランで食事をした。 Zさんには悪性だったこと、今色々と検査をしている最中だということなんかも話していた。     Zさんはいつもカッコよくてあったかい。ああしろこうしろ的なことは一切言わないし強要したりもしない。 だけど“頑張りたいな”と思わせてくれる様な言葉をさりげなくかけてくれる。 前向きに考えようとする私をとにかくずっと急かさずに応援してくれていたし、今もとてもお世話になっている。     この日も久しぶりに美味しいご飯を食べた。 最後のデザートにはメッセージを添えてくれた。 You'll be allright. you can get it over. 泣きながらチョコで書かれたメッセージも食べた。 この日、Zさんは忙しい仕事の合間を縫って神社で御守りを買ってきてくれていた。 【勝】と焼印の入った木の御守り。 よく見る感じの健康祈願の柔らかな正絹の布モノじゃなくて、この強そうな御守りがなんだかすごく嬉しくて仕方が無かった。 コレを私のためにわざわざ買いに行ってくれるZさんの気持ちがとても嬉しくて私は帰宅後お財布にこの御守りをくくりつけた。 お財布はいつも大切に持っているものだし無くさない様にしているものだから、と思って。 レジで支払いをする時はちょっと恥ずかしくもなる。 多くの人の目線はぶら下がっている財布とのサイズバランスが悪い木のチャームに釘付けだから。笑 でも、この御守りは私を守ってくれている気がする。     私が初めて社会人として働いた会社で出会った先輩たちは、辞めて十数年と経った今でも変わらず良き先輩でステキな人たちばっかりだ。   20代をあの会社で過ごせたことは私にとってとても大きな宝ものになっていて、40を超えた今でもあの頃の様に可愛がってもらえる事がとてもありがたい。    ...

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1年前のCT/MRI検査 そして明日は1年検診

2018年2月19日 MRI 2月21日 CT 検査をまとめて同じ日にやってくれりゃ良いのに…と思っていた。 病院嫌いの私は何度も病院へ行くという行動自体が嫌いだ… だけど放射線量の問題で別日にしなきゃいけないらしかった。   造影剤が初めてだったので体が燃える様に熱くなるのがものすごく怖かった。 事前に説明を受けていなかったらパニックになりそうだなぁと思った。 聞いていたのに焼け死ぬんじゃないか?というような恐ろしさを感じたほどだったから。   とにかく検査続きの日々に疲れていたし苛立ちも感じていた。 このひと月ちょっとの間に何回レントゲンやらなんやらで放射線を浴びているんだろう…と思うと自分のことが不憫に思えた。   こんなに短期間に何度も放射線を受けている方が癌になるんじゃ無いのか?というようなひねくれた気持ちにもなりそうだった。   看護婦さんからストレスになる様な事は出来るだけ避ける様にと何度も言われていて、会社などでの精神的なストレスがあるのは本当に良くないから、と病院へ行くたびに何度も言われた。   仕事は辞めたから今はストレスが無いはずなんですけど…と答えていた。(真面目に働いている社会人でストレスが全く無い人なんて皆無で誰にでもストレスはあるんだから)   そういうのもあってストレスになることを自分の生活圏内から少しずつ遠ざけるようになっていった。   自分でも驚くほどのポジティブな考えの持ち主なのもあって〔仕事を辞めていなければこんな忙しい時期に精密検査とか受けに行ってる時間無いし、って言って面倒くさがって行かなかったな、私…。 それ以前に辞めて無かったら婦人科検診も受けなかっただろうし、発見が遅れて手遅れになっていたかもしれない。やっぱり私はついている。〕と思った。   仕事を辞める事になったのは、こういう大きな理由があったからだ!病気に気付く為に導かれたんだと思った。   そう思う事でしか次々と巻き起こる色んな出来事に対して納得が出来なかったのかもしれない。 とにかく前へ進むしか道は無くて、その為にはマインドコントロールをしてプラスの考え方にするしか気持ち的な逃げ道がなかった。   マイナス感情になってしまう事を考える事がストレスになっているんだと思い、嫌な事を考えたり思い出したりしないで済む様に物理的にも色々と工夫をした。   それでも負の感情を0にする事が出来ず、何も考えないで済む様にとにかく時間が許す限りろくろを回し続けた。 そうする事でしか気持ちを保つ事が出来ずにいた。   この時期の私は毎日ろくろを回して出来る限り海岸へサンセットを見に行っていた。   出来る限り人には会いたく無かった。 平気なフリをする事が辛くて1人で陶芸をしていることがとにかく救いだった。   12年の間ずっと陶芸には救われる事がたくさんあったけれど昨年の2018年ほど陶芸の存在が私にとって大きかった年は無い。 もし陶芸をしていなかったとしたら、あの不安定な気持ちをフラットにする手段が無かったということだ… とはいえろくろを回しながら泣けてきて涙で視界が悪くてうまく作れないという日がかなりあったのだけれど…   明日は朝から1年検診だ… 通常の検診ではエコー検査だけど明日はCTだから緊張する…   1年検診の事を思うとやっぱり少し不安でここひと月ちょっとの間は微妙に緊張している。 明日の検査結果は月末にわかる。 まずは1年検診をクリアしたい。   去年の今頃と比べればかなり通常ではあるけれど、再発の恐怖はまだ消えない。 きっと大丈夫。そう何度も口に出したり文字にしている。...

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精密検査の結果を聞きに

2018年2月9日:検査結果 この時は少し覚悟していて2週間前の精密検査の日よりはかなり落ち着いていた。   1人で病院へ行ったらお医者さんと看護婦さんに「え?1人ですか?」とちょっと驚きながら聞かれた。   もちろん、母は一緒に聞きに行こうか?と言ってくれていたけど、私は断った。 年老いた母を(とか言ったら母は私はまだまだピチピチやで、年老いたとか言わんとって!と言いそうだけど)京都からそれだけのために来させるのは忍びないというのが理由の大半ではあったけれど、それ以上に母が居ると私自身甘えが生じてしまって冷静ではいられなくなる気がしていたからというのが一番だった。 母は私にとって全てにおける理解者だ。私自身が感情をコントロール出来なくなる様なことがあったら、母にはなにも関係なかったとしても、理不尽な事なんて言わない母にでさえあたってしまいそうなのが嫌だったというのもある。   「本当は家族と来て欲しかった。1人で大丈夫ですか?」とお医者さんから再三言われたけれど、白馬にいた間に自分なりに心の整理をして覚悟を決めていたつもりだったし、1人で聞いても取り乱さないでいられるとも思っていた。   あまりにも私が冷静に返答しているからか?お医者さんはちょっと驚きつつも安心仕切って次々と話を進めていった。   結果は悪性。 でも、より良い方法を探るためにこれからMRIやCTなどを撮るとのことで全ての日程をFIXすることになった。 幸い、仕事を辞めた私には優先しなきゃいけない予定は特に何も無かった。 だから、全てを病院のスケジュールで一番早く受けられる日を選んだ。   19日 MRI 21日 CT 27日 結果報告と今後の方針決め ということになり、27日は家族と来てくださいと念を押された。   母にそのことを伝えたら検査の時も行こうか?と言ってくれたけど、来てもらったところで何かをしてもらうわけでもないし、新幹線代だってバカにならないんだし、今現在の私は何の不自由もなく動けているんだから、来なくて平気だと伝えた。なので月末の結果を聞きに行くときだけ来てもらうことにした。   この頃よくやり取りをしていた友人や知人たちには乳がんかもしれないという事を伝えていた。 心配をして病院に着いて行こうか?と言ってくれる人も何人かいた。 けれど断った。 良性だったなら居てもらっても帰りに笑い話にしながらお茶でも出来るけど、悪性だった場合の気まずい空気を想像すると1人の方が気が楽だと思ってしまった。 母にさえ来ないで良いと伝えていたくらいだから、やっぱり他人さんについて来てもらうというのは私の性格的には無理だった。 もし他人さんについて来てもらったら、その人に気を使わせないようにしなきゃ…と思ってしまって自分自身が気を使うことがちょっと億劫で、自分の事しか考えたく無かった。 そのくらい気持ちに余裕が無くなっていた。 とにかく、出来る限り心を穏やかに保ちたいと思っていた。 だから1人が良かった。   幸いにも母が乳がん手術をしていたから電話ではずっと話していて色々聞いた。   母は「もうだいぶ前のことやから忘れたわ。最初は大変やけど日にち薬やからそのうちどうもなくなるし、私なんて今めちゃくちゃ元気やで」と言っていた。 ネットで調べたりはしない様に看護婦さんから何度も言われていた。   母がとにかく楽天的に自分の話をしてくれていたからこの時期の私はあまり悪い様に考えないように自分を持って行けていた気がする。 とはいえ結構無理をしてそういう風に強がっていたのだけど、強がらずにはいられなかった。というのが正解かもしれない。強がっていないと前に進めない状態だった。   1年後、2019年のこの時期は2月9日からの三連休で、ずっと一緒に滑る約束をしていた友人(元お取引先さま)Nさん達と2年越しの約束を果たせて私は雪上にいた。 心から笑った3日間を過ごせた。   Nさんはとてもユニークで心根の優しい可愛い人だ。 たくさん笑わせてもらった。 本当によく笑った3日間だった。   昨年の1年で、ものすごく感じたことなのだけれど、私はすごく人に恵まれている。 沢山の楽しい仲間がいる。 いつもいつもつるんでいるわけでは無いけれど、ふとした時に声をかけてくれる人がたくさんいて、忘れられずに今も連絡をして来てくれる人たちに本当に感謝している。...

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