一年前の今日のこと【健康診断へ】 | ucacoceramics
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1月 16 2019

一年前の今日のこと【健康診断へ】

2018年1月16日:健康診断

有給休暇の消化が始まったばかりだった。
都内のクリニックで健康診断を受けるために久しぶりに渋谷へ。
定期券が無くなった今、健康診断だけの為に渋谷に出るなんて…とこの日は思っていたけれど、ココで受けてよかったと後日思うことになった。

 

2年に1度の婦人科検診は昨年受けていて問題無かったから特に今年受けないといけないわけじゃない。

だけど周りのフリーランスの友人たちが健康診断を受けていない様子を見ていたのもあったせいなのか、なんとなく[来年は健康診断を受けないかもしれないから]と思い、念のために受けておきたくなって当日に急きょ受付時に依頼をした。
すると、なぜ急に受けようと思ったか?の理由を受付で執拗に聞かれたので結構驚いたのを覚えている。
(無理なら仕方ないくらいのホントに軽い気持ちで受診可能かを聞いただけだったので…)
「なんとなく、来年は受けられ無いかもしれないし、母親も昔に乳がん手術をしているし、私も子宮筋腫をたくさん抱えていた事があるので念のため両方受けておきたい」と答えたらラッキーな事に受けさせてもらえた。
確か普段なら予約して無いとダメだけど、ちょうど今の時間ならまだ空きもあるから、みたいなことを言われた気がする。

 

各種の健康診断を受けたけど正直全く覚えていない。
覚えているのは乳がん検診のエコーの時間がものすごく長くて、寒いし冷たいし痛かったことくらい…
検査医の先生は私の事が嫌いなのかな?こんなに【親の仇】みたいにしなくても…と、とにかく痛みに耐えていた。
まだ続くなら痛いとそろそろ伝えよう…そう思っていた矢先に先生の手が止まって急に色々な質問をされた。
けど、そんな質問をされるというのが想定外だったからあんまり的確な返答を出来ていなくて、だいぶボンヤリした答え方だったと思う。

 

検診後の問診では、女医さんがとにかくピリピリした雰囲気で矢継ぎ早に質問をして来たのだけど、自分の事なのに昨年の検診結果がどうだったか?を私がちゃんと記憶していなくて即答出来ずにいた…(ということは問題点が無かったってことだと思うのだけど、あんまり気にもしていなかったから細かく聞かれると昨年の結果がどうだったのか?がわからなくなって来てた。この半年後くらいに見つけた昨年の健康診断結果を見たらオールAだったんだけど…)

今までに引っかかった事があったのは肺の徐脈、これはここ数年毎年聞かれるから既に大したことでは無いと気にしなくなっていたし、子宮筋腫は多量発生していた時期があって通院もしていたし投薬治療もしていた事もあるけれどそれも今は大丈夫なはず、だけどどうだろう…と…

その2つの事を女医さんに伝えている途中で、もう、それはとにかく大したことじゃない。大したことないわけではないけど、それはまず置いといて先に解決しないといけない事がある、とりあえず。と次の話題にすぐに進めようとしていた。
後から思い返せば先生は全て分かっていたからなんだけど、その時はその女医さんのイライラしている感じがちょっと怖く感じた。

 

そして右胸に影がうつっていること、シコリがあるからとにかく明日にでも精密検査を受けた方が良い、ということを伝えられた。
何かおかしな事は無いか?とかこんな事はなかったか?あんな事は無かったか?と色んな症状的な事を聞かれたのだけれど、どれもこれもピンと来ておらず、あるといえばあったかもしれないし、でも歳も歳だし常になにかしら調子悪いもんだろうし…くらいの気持ちでボンヤリと聞いていた。
ま、どうせ良性だから。くらいにしかその日は思わなかった。というか急展開すぎて全く想像が出来ていなかったのかもしれない。
不安じゃ無いわけでは無かったけど、私に限ってそんな事あるわけない!と思い込んでもいた。
ここ何年も添加物は自宅では摂っていなかったし、お酒は好きだといえど体を壊すほど飲んだりもしない。
運動もハードではないにせよ夏はSUP、冬はスキーと楽しんでいたし、ほんのたまには登山もしていたし、よく働きよく遊んでもいて、健康的な生活を送っているという自負がどこかにあった。

 

女医さんがエコー検査をCDに焼いた物と紹介状的な物を書いてくれ手渡された。
病院は都内なら紹介できる所があるのだけど、家が葉山だから絶対に家の近くにした方が良い。だからと言って小さすぎる病院はダメだから専門の病院で通院が楽なところにしなさい。と細かなアドバイスをもらった。
多分毎日通う事になった時にその方が良い、と…
そこまで言われているのに、私は心の中でまだ[大丈夫。きっと大げさに言っているだけだ。]と思っていた。

でも、流石に少しだけ心配になって母に電話をした。
「そうか…心配やなぁ…でもきっと大丈夫、きっと良性やから!」と母は言った。
「でも明日にでも受けなさい。検査は出来るだけ早く」と念を押され電話を切った。

 

冗談ばっかり言っていつも笑っている母の声のトーンがこの時ばかりは少し暗くなっていて、私は急にソワソワして気になりだした…

そして家から通いやすいところで検査を受けるために病院へ電話。
どこだったか忘れたけれど1軒目は電話の向こうの応対がすごく怖かったのでやめにした。予約も随分と先にしか取れなかったし…
二軒目にかけた病院は業務的だったけれど1週間後に予約が取れたのでそこで検査をする事にした。

 

だけどまだ私はどこか楽観視していた。
もう40代だしどこかしらにガタは来てる。健康診断で引っかかるくらいは大丈夫!そう自分に言い聞かせた。

だけど、最悪の場合を想定してもいた。月末から住み込みバイトをさせてもらう予定だった白馬の知り合いにはもしかしたら行けなくなるかもしれないことを連絡し、申し訳無い気持ちになってもいた。

 

冷静でいようとずっと思っていた。けど正直あまり冷静では無かったと思う。
とにかく絶対大丈夫!と自分に言い聞かせていたし、不安はあるもののまだこの時の私は絶望してはいなかった。

 

☆今日のこのブログは一年前に書き留めていた日記を元に一年前のことを振り返っています。
忘れてはいけないことがたくさんあってそしてまだ闘病生活が終わったわけでは無いことも、これから私がすべき事は何なのか?もやっと考えられる様になって来ました。

思い出すと辛い事はもちろんたくさんあります。
でも、家族や友達に支えられて私は今笑っていられる。
やっと辛かった時のことを「辛かった」って言える様になりました。
当時は辛すぎて辛いと言ってしまえない様なところがあったのだけど。

今年、経験を生かして何か出来ることがあるかもしれないと思いピンクリボンアドバイザーの資格を取得するため勉強をしようと思っています。

 

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