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一応ホッとした

2018年3月4日  葉山の友人宅へ 以前の仕事で知り合ったMさんは家も近くて家族ぐるみでご飯を食べたりしてもいたけれど病気のことは話していなかった。     たまたま共通の知人がMさん宅に遊びに来ていて彼女から呼ばれたので母と一緒に行くことになった。 呼ばれた時は正直家でゆっくりしたいと思っていたのだけど、母は出来る限り普通でいなさい、必要以上に考え込むなと言っていて、せっかく声をかけてもらったんだから行って来なさい、と私を後押しした。     とにかく気持ちが滅入っていて1人でそこまで行く気力がわかず(歩いてたったの20分の距離なのに)母について来て欲しいと言ってバスで向かう事にした。 (その場で紹介されたyさんにはのちにとてもお世話になり某有名媒体で私のうつわを使っていただくことになる)     あまりにも私がグッタリしている理由を飲んだ勢いでバンバン話を進めて行く彼女にちょっと驚いた。酔ってるんだろうなぁ…と黙って聞いていた。 グズグズしている私の代わりにあっけらかんとそれに答えて行く母。     実は乳がんになっていたこと、手術をしなきゃいけないのに私が手術をしたくないと言い出した事なんかをみんなの前で母はさらりと言い出した。 (隠しているわけでもなかったけれど他人さんに話すのはパワーがいる話で、その都度平静を装うのがしんどいというのがその時の本音だった。)     でも受けなきゃ進行して死んでしまう。 手術を受けずに過ごしていた人のブログやネット情報を読んだらすごく辛そうだった。 それはやっぱり嫌だから結局のところ手術を受けるんだけど、体を切り刻むなんて怖いし出来る事なら手術をしたくないと言ったらMさんの奥さん(Sさん)が色々と諭してくれた。     私は彼女の言葉が無かったらいつまでもグジグジ言って逃げ腰だったと思う。 奥さんの言葉はとても冷静で、でも暖かくて、気持ちを尊重してくれているのが1つひとつの言葉の選び方から伝わってきた。     何故あんなにグズグズしていたのか?というくらい私はグズっていた。 そのくらい手術をした後のことが不安だった。(利き手が使えなくなって陶芸出来ないこと)     母の友人の乳がん体験者の看護婦さん、担当の看護婦さんにも支えられていたけれど、Sさんの言葉は私に冷静さを取り戻させた。 看護婦さんって素敵な人がなる職業なんだなぁとこの時心底思った。(Sさんも看護婦さん) “白衣の天使ってホンマやん”なんて思っていた。     とにかくこの頃の私は過去最も意気消沈していて覇気がなかったと思う。     本当にグッタリしていた時期で、多少のことでは目の下にクマが出来ることもなけりゃ、白髪になることもなかったさすがの私も、この時期は両方現れていて鏡で見た自分の顔を見てハッとした。     今年は治療で飲んでいる薬の副作用で気掛かりな子宮体癌の検査を受けに行った。 (先日の一年検診のCTでちょっと引っかかっていたので)     午前中に受けた検査では半年前にも診てもらった女医さんの問診で色々聞かれたことに答えて質問なんかもしたらバシッと答えてくれたからかなりホッとした。 内容がどうであれハッキリ言ってもらいたい。 私の性格的な部分もあるのだろうけどグレーな物言いほどモヤモヤしてしまうことはない。 とりあえず聞いた雰囲気的には子宮体癌ではなさそうで、かなり気が楽になった。 悪性腫瘍じゃなければまぁ大丈夫だろう、と。     けど、異常に大きな影が写っているからエコーでは確認しきれないしMRIを撮っておこうということになり、午後スポット的に空いていた時間に予約を入れてもらった。 スムーズに予約出来たのは良い流れだと思う。     またこれで1週間待ちとかだとモヤモヤが炸裂してしまう。 基本的にはそのモヤモヤした待ち時間が1番嫌だから…     結果は来週聞きに行くのだけど、多分大丈夫だと自分的には思っている。 MRIのあんなうるさくて狭い場所の中ですら、最後の方は寝てしまっていたし、多分そのくらい緊張感のない精神状態だったから大丈夫だと思う。 とにかく悪性腫瘍じゃなくてホッとした。 良かった…    ...

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2月27日は去年も今年も病院で検査結果を聞く日になった

2018年2月27日 母と共に病院へ   病状をお医者さんから説明され始めたけど、正直ちんぷんかんぷんで何を言っているのかわからなかった。   ネットとかで病気のことを調べたりしない様にと事前に看護婦さんから言われていたから本当に何も調べなかった。 というか怖くなるからあまり知りたくなかったのもある。   そのかわり手渡された乳がんのことが書かれた資料は全部読んだというか目を通した。 読んだのだけれど、なんというか自分ごととして捉えることがまだ出来なくて読んでもキチンと理解出来ていなかった。   自覚症状がイマイチ無くてピンと来ていなかったのもある。(結構なシコリの大きさだったのだけれど)   予備知識が少ないから、正直自分の症状がどんな感じなのか?がピンと来ていなかった。 質問は無いですか?と聞かれ、聞きたいことがあるのだけど怖くて聞けないでもいたし、理解が追いつかなかったからちょっとボンヤリしてしまってもいた。     結果的には手術をしなきゃいけなくて、もうこの日に手術日も術式も決めてしまわなければいけなかった。   私は先生に「もし先生の奥さんや娘さんが私と同じ症状で同じくらいの進行具合だったら、先生は全摘と部分、どちらをすすめますか?」と聞いた。 先生は一瞬、こいつはなにを…という感じで目が泳いでいたけど、「今田中さんに伝えたことと同じように言う。見た目の好みの問題だから」と冷静に答えた。   手術が早いに越したことは無いらしかったのだけれど、正直その場ですぐには決められなかった…   今までの私は決断に迫られた時も、結構色んな事をアッサリと決めて来たし(実はそうでもないこともあったけど周りからは簡単そうに決めている様に見えたらしい)比較的腹をくくることにも慣れていて即断即決できるタイプでもあった。(まぁ、そんな大きな決断をしたことが無かったのかもしれないけど) ほとんどのことはどうにかなると思っていたし、どうにもならないとしてもどうにかするしかないと思っていたのもある。     だけど、今回はすぐに決断出来なかった。 術式を決められず迷ってしまった。 どっちが良いかわからないというだけでなく、なんとなく手術を後回しにしたい様な気持ちになっていた。 考えたいから持ち帰って良いですか?とお医者さんに言ったら1週間後には返事を出せますか?と急かされた。 進行のゆっくりな癌だとはいえ1日でも早く手術した方が良いことには変わりない。と言われた。 仕方なく「はい」と答え病院をあとにした。     その日に京都に帰って手術時にまた来る予定だった母に、来週まで一緒にいて欲しいと頼んだ。 1人でいる方が落ち着いていられると思っていたけど、それはただそう思いたかっただけで、本当はものすごく不安だったんだと思う。 母にそばにいてほしいと心底思った。     普段の私は1人でいることが比較的好きなのだけど、この時はさすがに1人ではいられなかった。 不安感というか恐怖心なのかなんともいえない不安定な気持ちになっていた。   それでも毎日陶芸だけはしていた。 ろくろを回していないと要らぬ情報を携帯で調べてしまうし、とにかく土を触っていたくてその時間を増やした。 土を触っていると少しでも気持ちが和らいだしフラットになれた。     翌週に返事をするまでの1週間は気持ちがずっとグラついていて何度も何度も迷っていた。(この1週間の間に色んな人から助言ももらい、その都度気持ちがフラフラとして決められなかった)   ほんのちょっとしたことで迷ってしまっていたし、“どうして有識者であるお医者さんが決めてくれないんだろう…”とも思っていた。   考えなきゃいけないのだけど考えたくもなくて自分のことなのにどうでもよくなっても来た。   手術なんてしないでこのまま(なんの不自由も今はないんだし)ストレス無く暮らしていれば治るんじゃないのか?とも思った。   眠れなくて、手術をしないでいた人のブログなんかを夜中に読み漁りだしてもいた。   他にも何人かの友人から色んなネットの情報が届いた。 けれど、何が正しいのか?が全くわからなくて理解出来ていないから色々届くフンワリとした情報はどんどん自分を迷わせていった。   でも手術はしないといけない。 ずっとモヤモヤしていて、逃げる様にろくろを回していた。     母の時は術後に土を触るなとお医者さんに言われたと言っていた。 私はそこにすごく引っかかっていて【土を触れなくなるのがすごく嫌】だった。   今の自分から陶芸が無くなったら私には何も無いじゃ無いか?という焦りや苛立ちがあった。 なんで私がこんな目に合うのか?とやっぱり思ってしまった。 100歩譲ってそれ以外の事はもうホントにどうでもいいし忘れよう。 だけどせめて陶芸だけは続けさせてや!そんな気持ちになっていた。   陶芸が出来なくても大丈夫だよ!その時はその時だから!と励ましてくれる友達もいたけれど、そんな日々をどうやって乗り越えれば良いのか?の想像がその頃は全くつかなかった。     色んな気持ちが入り交じって手術をするのがものすごく怖くなってしまい、「手術はしない」と私が言いだしたら母は泣いた。 呆れていたのかもしれないし怒りの頂点に達していたのかもしれない。 なんでそんなことを…とただ泣いていた。 泣きたいのは私やわ!と泣きながら母にあたった。     そんな風に日々気持ちがグラつき激しく落ち込んだり泣いたりして1日の中でも気持ちは揺れっぱなしだった。 【自分でも決められないしお医者さんに選択を委ねることもできない】という状態にフラストレーションが溜まっていた。 こんなにも自分は決断力がないのか?と我ながら呆れた。選ばなきゃいけない二択はどっちも選びたく無い!そうとしか思えなくなっていた。     1年後の今日は1年検診の結果を聞きに来た。 いくつか気になる点はあったものの胸は両方とも再発しておらず、肺や肝臓への転移も見られ無かった。   ホッと一安心する間も無くお医者さんから「子宮筋腫が異常に大きくなりすぎているから婦人科検診を受けるように」と言われた…   一難去ってまた一難… 心配ごとがなかなか消えてくれない。 半年前にも色々と心配で婦人科検診を受けてはいた。(薬の副作用で子宮体癌になる可能性が上がることがわかっていて、異常に酷い鈍腹痛や腰痛、その他諸々が気掛かりで受けた) その時点で既に筋腫の量がちょっと多いこと、大きめのものが3つほどあるから半年後にまた必ず検査を受けるように言われていた。(ことを忘れていた。というか筋腫がチョコチョコあるくらいは普通だし…)     けど、今回はその大きさが異常だとのこと… 見せられたCTでは全面的に写っているモノを指して先生が「コレが筋腫。おっきいでしょ。赤ちゃんみたいに」って言うんだけどその例え、出産経験のない人間には全然伝わらない…ってホントに思った。けど、えっ?ソレ?というくらいの大きさの物をお医者さんは筋腫だと言った。 子宮全体とほぼ同じ大きさですけど…その影…と思って絶句してしまった。     今日すぐに検査を受けてくれば良かったのだけど、前回と同じ女医さんが良いと思って日を改めることにした。 正直、色んな検査の中で婦人科検診は嫌いな検査の1.2を争う。 もう半年経ったのか…と思うとゲンナリする。 おおごとでなければ良いのだけど…   出来ることなら漢方で緩やかに治せる程度であってほしい… もう手術はしたくないし、薬もこれ以上飲みたくないなぁ…   ただ笑って過ごしていたいだけなのに…   ネットで要らぬ検索をしてしまわないように今日もろくろを回そうと思う。時間がある限り、作陶する。   今の自分に必要なのは土に触れて心のざわつきを静めることだと思う。...

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母が逗子へ来た日

2018年2月25日 昨年のこの日は数日後に病院へ結果を聞きに行くため、前入りで母が来る日だった。   その前にS先輩が娘さんを連れてウチまでわざわざ遊びに来てくれた。   春の桜まつりの時に器のポップアップイベントをさせてもらえるという事で打ち合わせを兼ねて器を見に来てくれることになっていた。   メールでうまく伝えるのも難しかったこともあり会うまで病気のことを先輩に伝えられずにいた。   せっかく楽しみにしているイベントなどの楽しいことだけを考えていたかった。   もし手術をしなきゃいけないとしても、手術前にたくさん作ってイベントが終わってから手術すれば良い… そんな風に思ってもいた。   というか手術をするかしないかもどうなるか?も検査結果が出るまで先が何も決まらない状態だったから予定を何も決められないでいた。   会ったときに病気のことを先輩に話した。 昔からたくさん喋る感じの人ではなくて、だけどとても深い優しさと芯があるタイプの人で、めちゃくちゃお洒落でカッコ良い女性だ。   私が辛くならない様に先輩が言葉を選びながら話してくれているのが伝わって来た。 そして応援するとも言ってくれた。 そういう先輩の言葉がものすごく私を支えてくれた。     この頃は病気に対する悲しさより、たくさんの人たちの優しさに感動してよく泣いていた。 私はものすごく恵まれていて幸せなんだと本当に思った。     夕方、母は父が運転する車でやって来た。 色んな食材やらなんやらを運んで来てくれた。 父は私のために家庭菜園のプランターやら土やら一式セットを買って来てくれた。 父はそれらをうちのベランダにセットして京都へトンボ帰りしていった。 疲れるだろうし泊まっていけば?と何度か言ったのだけど帰っていった。 多分、私の顔だけ見に来たんだと思う。 言葉が足りない人だけれど父はとにかく優しい。   だからなんだかんだ言いながらも母はずっと一緒にいるんだと思う。 自分自身が結構な年齢になるまで、なぜ母が父とずっと一緒にいるのか?に疑問を持っていた時期もあったけれど(笑)最近になってようやくわかって来た気がする。     一年後の現在、2019年の2月末は1年検診を受けて結果を聞きに行く。 年明けごろからずっとソワソワしていて検診に対してのちょっとした不安から来る緊張感で気持ち的にはあんまり落ち着かない。 なので友達にも出来るだけ会うようにしたりスキーにも出かけたりして、笑う機会を増やす様に心がけている。 去年の今頃はたくさんの人たちの優しさに触れてよく泣いていたけど、今年はたくさんの人たちと笑って過ごせている。 そんな日々をつくづくありがたいと思う。 これからもずっとずっと笑って過ごしたい。...

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一年前は都内で 今年は逗子で222

2018年2月22日 この日はずっとお世話になっているZさんとAさん、そしてすごく久しぶりにお会いするKさんと4人で都内のレストランで食事をした。 Zさんには悪性だったこと、今色々と検査をしている最中だということなんかも話していた。     Zさんはいつもカッコよくてあったかい。ああしろこうしろ的なことは一切言わないし強要したりもしない。 だけど“頑張りたいな”と思わせてくれる様な言葉をさりげなくかけてくれる。 前向きに考えようとする私をとにかくずっと急かさずに応援してくれていたし、今もとてもお世話になっている。     この日も久しぶりに美味しいご飯を食べた。 最後のデザートにはメッセージを添えてくれた。 You'll be allright. you can get it over. 泣きながらチョコで書かれたメッセージも食べた。 この日、Zさんは忙しい仕事の合間を縫って神社で御守りを買ってきてくれていた。 【勝】と焼印の入った木の御守り。 よく見る感じの健康祈願の柔らかな正絹の布モノじゃなくて、この強そうな御守りがなんだかすごく嬉しくて仕方が無かった。 コレを私のためにわざわざ買いに行ってくれるZさんの気持ちがとても嬉しくて私は帰宅後お財布にこの御守りをくくりつけた。 お財布はいつも大切に持っているものだし無くさない様にしているものだから、と思って。 レジで支払いをする時はちょっと恥ずかしくもなる。 多くの人の目線はぶら下がっている財布とのサイズバランスが悪い木のチャームに釘付けだから。笑 でも、この御守りは私を守ってくれている気がする。     私が初めて社会人として働いた会社で出会った先輩たちは、辞めて十数年と経った今でも変わらず良き先輩でステキな人たちばっかりだ。   20代をあの会社で過ごせたことは私にとってとても大きな宝ものになっていて、40を超えた今でもあの頃の様に可愛がってもらえる事がとてもありがたい。    ...

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2月 18 2019

フライヤーが完成しました!

  フライヤーが刷りあがりました! (iPadで急いで作ったからアラがかなり気になりますが…次回刷る時は友達にPCを借りようと思いました!ちょっと反省!でもこのツメの甘さが私っぽいところでもある…ということでご了承いただきたいです。笑)   そして、少し前から私の器を置かせていただいている逗子駅近くにあるdelamair grandirさんへ早速持って行き、今回のフライヤーも置かせていただきました。(こちらのお店では器を受注製作対応にさせていただいています) delamair grandirさんは私がここ2年ほどお世話になっている美容室です。   何故美容室で器?って思います?よね?(笑) 何故かと言われると理由は単純なのですが、担当の美容師さんはじめお店のスタッフさんたちのことがすごく好きだからです! だから置いていただけることになったんだと思っています!(笑)   グランディールさんへ通うことになったキッカケについてはまたいずれか書くとして、気づけばもう2年近く通っています。 美容室難民と化していた私を救ってくれた場所です!   昨年はあまり行けていなかったけど、先日久しぶりに髪を切りに行った時に(雑誌取材の撮影前だったので久しぶりに美容室へ行きました。笑)話していた中でお店に器を置いていただくというお話が出て今日に至ります。 お店を入ってすぐの正面に(物販店舗なら超一等地)私の器を置いていただいていてとてもありがたく思うのと同時に申し訳ない気持ちにもなりますが、少しでも貢献出来たら良いのになぁ…って思っています!   けど、今回のお話をいただいたとき、素直にすごく嬉しかったんです。 グランディールの美容師さんは私の担当をしてくれている方だけでなく皆さんいっつもにこやかで感じが良くてすごく居心地の良いサロンなんです。 行くと自分自身もすごくにこやかになれてホッとする場所でもあります。 自分が好きな人たちに器を扱ってもらえるのはすごく嬉しいことだし、逗子・葉山に住む方たちの目に触れる機会が増えるということもとても嬉しいです!   少しずつ、地域にも根付いて行きたい。 そんな風に思い始めた時にふといただけたお話だったのでとてもありがたいと思っています。   フライヤーには最低限の情報しか載せていないのであまり親切なものではありません。ごめんなさい!(全商品の説明や価格は載せきれていません) 私のアナログな?制作方法では全ての情報量をあのスペースにうまく収めるのはちょっと難しくて、最低限の雰囲気が伝わるように商品のイメージ写真と定番として昨年のデビュー戦から作り出した金彩のsérie habiller(おめかしシリーズ)の説明と商品の扱い方に関する注意して欲しい点などを書いた程度です。   会社員として販促物を作っていた時はデザイナーさんに依頼出来たから結構な文字量もデザインの中に落とし込んでもらっていたのですが、自分では色んなことが無理すぎて諦めちゃいました。まいっかって…笑 けど、次回作る時はPCでもう少し商品名と価格くらいの最低限の情報を馴染ませながら載せられる様にはしたいと思います!(今回も最初は入れようとしていたのですが目がチカチカしてきたからやめちゃいました。)   そして最後に、逗子・葉山界隈で美容室難民になられている方には是非delamair grandirをオススメしたいです!ホントに!  ...

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2月 16 2019

ucaco birthday sale

来月はB品やUSED品のsale販売を予定しています! 釉薬が縮れてしまったり、流れすぎて高台(足)が欠けてしまったりしたもの、底にヒビが入ったカップを鉢植えにしたものなどなどあらゆるB品と過去に使っていた自宅用の器を放出予定です。     誕生日に合わせてセールをするのは少し変な感じかもしれないですがここ数年、自身の誕生日は両親に感謝をする日という気持ちでいました。     今年は、昨年の1年間に私の陶芸活動を応援してくださったり、器を買ってくださったりして関わってくださる皆様への感謝の日としたいと思っています。   昨年の1年間、本当に多くの人に支えられたくさんの人との関わりに感謝をしました。   自宅で使うには問題のないものや、少し簡易修理を施したものなどを出します。 キャンドルホルダーとして、植木鉢として、色々な使い方でご自由にアレンジしていただくのも良いかと思っています!   是非、葉山まで足を伸ばしていただければと思います!   期間:2019年3月8日(金)〜11日(月) 場所:WEL'L hayama(森戸海岸近くのライフスタイルショップ)...

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1年前のCT/MRI検査 そして明日は1年検診

2018年2月19日 MRI 2月21日 CT 検査をまとめて同じ日にやってくれりゃ良いのに…と思っていた。 病院嫌いの私は何度も病院へ行くという行動自体が嫌いだ… だけど放射線量の問題で別日にしなきゃいけないらしかった。   造影剤が初めてだったので体が燃える様に熱くなるのがものすごく怖かった。 事前に説明を受けていなかったらパニックになりそうだなぁと思った。 聞いていたのに焼け死ぬんじゃないか?というような恐ろしさを感じたほどだったから。   とにかく検査続きの日々に疲れていたし苛立ちも感じていた。 このひと月ちょっとの間に何回レントゲンやらなんやらで放射線を浴びているんだろう…と思うと自分のことが不憫に思えた。   こんなに短期間に何度も放射線を受けている方が癌になるんじゃ無いのか?というようなひねくれた気持ちにもなりそうだった。   看護婦さんからストレスになる様な事は出来るだけ避ける様にと何度も言われていて、会社などでの精神的なストレスがあるのは本当に良くないから、と病院へ行くたびに何度も言われた。   仕事は辞めたから今はストレスが無いはずなんですけど…と答えていた。(真面目に働いている社会人でストレスが全く無い人なんて皆無で誰にでもストレスはあるんだから)   そういうのもあってストレスになることを自分の生活圏内から少しずつ遠ざけるようになっていった。   自分でも驚くほどのポジティブな考えの持ち主なのもあって〔仕事を辞めていなければこんな忙しい時期に精密検査とか受けに行ってる時間無いし、って言って面倒くさがって行かなかったな、私…。 それ以前に辞めて無かったら婦人科検診も受けなかっただろうし、発見が遅れて手遅れになっていたかもしれない。やっぱり私はついている。〕と思った。   仕事を辞める事になったのは、こういう大きな理由があったからだ!病気に気付く為に導かれたんだと思った。   そう思う事でしか次々と巻き起こる色んな出来事に対して納得が出来なかったのかもしれない。 とにかく前へ進むしか道は無くて、その為にはマインドコントロールをしてプラスの考え方にするしか気持ち的な逃げ道がなかった。   マイナス感情になってしまう事を考える事がストレスになっているんだと思い、嫌な事を考えたり思い出したりしないで済む様に物理的にも色々と工夫をした。   それでも負の感情を0にする事が出来ず、何も考えないで済む様にとにかく時間が許す限りろくろを回し続けた。 そうする事でしか気持ちを保つ事が出来ずにいた。   この時期の私は毎日ろくろを回して出来る限り海岸へサンセットを見に行っていた。   出来る限り人には会いたく無かった。 平気なフリをする事が辛くて1人で陶芸をしていることがとにかく救いだった。   12年の間ずっと陶芸には救われる事がたくさんあったけれど昨年の2018年ほど陶芸の存在が私にとって大きかった年は無い。 もし陶芸をしていなかったとしたら、あの不安定な気持ちをフラットにする手段が無かったということだ… とはいえろくろを回しながら泣けてきて涙で視界が悪くてうまく作れないという日がかなりあったのだけれど…   明日は朝から1年検診だ… 通常の検診ではエコー検査だけど明日はCTだから緊張する…   1年検診の事を思うとやっぱり少し不安でここひと月ちょっとの間は微妙に緊張している。 明日の検査結果は月末にわかる。 まずは1年検診をクリアしたい。   去年の今頃と比べればかなり通常ではあるけれど、再発の恐怖はまだ消えない。 きっと大丈夫。そう何度も口に出したり文字にしている。...

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精密検査の結果を聞きに

2018年2月9日:検査結果 この時は少し覚悟していて2週間前の精密検査の日よりはかなり落ち着いていた。   1人で病院へ行ったらお医者さんと看護婦さんに「え?1人ですか?」とちょっと驚きながら聞かれた。   もちろん、母は一緒に聞きに行こうか?と言ってくれていたけど、私は断った。 年老いた母を(とか言ったら母は私はまだまだピチピチやで、年老いたとか言わんとって!と言いそうだけど)京都からそれだけのために来させるのは忍びないというのが理由の大半ではあったけれど、それ以上に母が居ると私自身甘えが生じてしまって冷静ではいられなくなる気がしていたからというのが一番だった。 母は私にとって全てにおける理解者だ。私自身が感情をコントロール出来なくなる様なことがあったら、母にはなにも関係なかったとしても、理不尽な事なんて言わない母にでさえあたってしまいそうなのが嫌だったというのもある。   「本当は家族と来て欲しかった。1人で大丈夫ですか?」とお医者さんから再三言われたけれど、白馬にいた間に自分なりに心の整理をして覚悟を決めていたつもりだったし、1人で聞いても取り乱さないでいられるとも思っていた。   あまりにも私が冷静に返答しているからか?お医者さんはちょっと驚きつつも安心仕切って次々と話を進めていった。   結果は悪性。 でも、より良い方法を探るためにこれからMRIやCTなどを撮るとのことで全ての日程をFIXすることになった。 幸い、仕事を辞めた私には優先しなきゃいけない予定は特に何も無かった。 だから、全てを病院のスケジュールで一番早く受けられる日を選んだ。   19日 MRI 21日 CT 27日 結果報告と今後の方針決め ということになり、27日は家族と来てくださいと念を押された。   母にそのことを伝えたら検査の時も行こうか?と言ってくれたけど、来てもらったところで何かをしてもらうわけでもないし、新幹線代だってバカにならないんだし、今現在の私は何の不自由もなく動けているんだから、来なくて平気だと伝えた。なので月末の結果を聞きに行くときだけ来てもらうことにした。   この頃よくやり取りをしていた友人や知人たちには乳がんかもしれないという事を伝えていた。 心配をして病院に着いて行こうか?と言ってくれる人も何人かいた。 けれど断った。 良性だったなら居てもらっても帰りに笑い話にしながらお茶でも出来るけど、悪性だった場合の気まずい空気を想像すると1人の方が気が楽だと思ってしまった。 母にさえ来ないで良いと伝えていたくらいだから、やっぱり他人さんについて来てもらうというのは私の性格的には無理だった。 もし他人さんについて来てもらったら、その人に気を使わせないようにしなきゃ…と思ってしまって自分自身が気を使うことがちょっと億劫で、自分の事しか考えたく無かった。 そのくらい気持ちに余裕が無くなっていた。 とにかく、出来る限り心を穏やかに保ちたいと思っていた。 だから1人が良かった。   幸いにも母が乳がん手術をしていたから電話ではずっと話していて色々聞いた。   母は「もうだいぶ前のことやから忘れたわ。最初は大変やけど日にち薬やからそのうちどうもなくなるし、私なんて今めちゃくちゃ元気やで」と言っていた。 ネットで調べたりはしない様に看護婦さんから何度も言われていた。   母がとにかく楽天的に自分の話をしてくれていたからこの時期の私はあまり悪い様に考えないように自分を持って行けていた気がする。 とはいえ結構無理をしてそういう風に強がっていたのだけど、強がらずにはいられなかった。というのが正解かもしれない。強がっていないと前に進めない状態だった。   1年後、2019年のこの時期は2月9日からの三連休で、ずっと一緒に滑る約束をしていた友人(元お取引先さま)Nさん達と2年越しの約束を果たせて私は雪上にいた。 心から笑った3日間を過ごせた。   Nさんはとてもユニークで心根の優しい可愛い人だ。 たくさん笑わせてもらった。 本当によく笑った3日間だった。   昨年の1年で、ものすごく感じたことなのだけれど、私はすごく人に恵まれている。 沢山の楽しい仲間がいる。 いつもいつもつるんでいるわけでは無いけれど、ふとした時に声をかけてくれる人がたくさんいて、忘れられずに今も連絡をして来てくれる人たちに本当に感謝している。...

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2月 06 2019

snowman from USA!

ついにアメリカから念願の可愛いコテが届きました。   私が今まで作って来た器にはあまり必要では無さそうな形状ですがこの可愛らしい見た目でつい買ってしまいました。   送料を考えるとある程度まとめ買いした方が良くて使い易そうなコテで今持っているものとちょっと違うものを選びました。     お道具が素敵だと作陶も更に楽しくなるので使うのが楽しみです!  ...

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約一年前のとある2週間くらいのこと

約1年前のこと 2018年1月23日:精密検査 この前の健康診断はエコー検査だったから、今日はマンモグラフィーだなぁ… 痛いし嫌だなぁ…そんな気持ちで病院へ向かった。   まずは往診、その後色んな検査をして、その後また往診。 そこでお医者さんから優しい言い方ではあるけれど業務的に説明をされた。 リンパ液の採取、細胞の採取をする注射をする。 細胞の採取は針が太いから痛みがあるので痛み止めも打ちます。計3本の注射をします。と言われた。 その時点で私はかなりのパニックになった。「細胞診の為??」なんだか思っていたよりおおごとっぽい… 注射は嫌いで採血ですら見てしまうと気を失いそうになる。 針先も怖い。 子供の頃の注射の日は朝から泣きわめいて親を困らせていた様なタイプだ。 未だに注射が怖い…   恐怖心と状況が理解出来ないパニックで私は座っているのに倒れかけた。 フラつく私を看護婦さんが支えて背中を撫でてくれたのがものすごく暖かくて何故だか涙がこぼれた。 結果が出るのは2週間後、またその時に来てください、と言われ次回の予約を入れて病院を後にした。 予備知識があればあんな風にテンパることも無かったのだろうけど、健康診断後の自分は悪性腫瘍の可能性なんて考えていなかったから何にもネットで調べたりもしていなかった。 だから、この検査の状況が予想をはるかに超えていて(マンモグラフィーだけで終わると思い込んでいたから)そこでやっとコトの重大さに気づいた。   検査を終え病院を出てバス停に向かう数分の間に涙が溢れて止まらなかった。 不安、恐怖、悲しさ、悔しさ、なんだかわからない感情が一気に押し寄せて来て冷静になろうとしても涙を止める事が出来なかった。 母から電話がかかって来たのでバスに乗らず雪が溶けて水たまりだらけの歩道を歩きながらこの日の検査内容を話した。   お店にお客様が来た、と言って母は途中で電話を切った。 そういうのが無ければ、私はいつまでもただ泣いて行き所のない感情を母にぶつけるだけになっていたと思う。 そうならずに済んだことを、その時お店に入って来てくれたお客様に感謝した。   バスに乗っている間も涙は止まらず家に帰ってベッドに倒れこんだ。 3日3晩ひたすら泣き続けていた。 何もする気力が出ず食べることすら出来ず… 「なんで私が?私は悪いことなんてしていないのに」「世の中は不公平すぎる」 そんな気持ちばかりで憤りを感じた。 泣きすぎて頭が痛くて仕方なかった。   そんな風に泣き続けていた3日目に電話が鳴った。 出るのをちょっと迷ったけど画面を見たらTKさんの名前が表示されていたから思わず出てしまった。 一応冷静を装って出た。 TVの前でうたた寝していて、TV消しなさい!と注意されている人が[寝てないよアピール]する時みたいな感じで普通を装ってはみたけど、泣きすぎてめちゃくちゃ鼻声になっているからすぐバレた。 「どうしたんですか?大丈夫ですか?」そんなことを言われたんだと思う。 テンパりながら「大丈夫じゃないです。癌かもしれない…」と結局また泣き出してしまった。 恐怖心を抱えきれなくなっていたところに電話をもらえたから吐き出せて良かったんだと思う。   なんだかんだ話していた。 何を話していたのか覚えていない… けど、この世のものとは思えないほどブッサイクな顔をして泣いていた時にTKさんはいつも通り冗談を言って笑わせてくれた。何で笑えたのか内容は覚えていないけど。(笑) でも、あの状態から私を笑わせるなんてすごい。 ユーモアと人間的な温かさのバランスが素晴らしい人だなぁっていつも思う。   TKさん夫妻や娘さんたちにはもう何年もお世話になっている。 いつも暖かくて優しい、大好きなファミリーで私にとって大切な人たち。   泣きながらもTKさんといつも通りくだらない話をしたら、少し元気になって来て、やっとベッドから起き上がれた。   めちゃくちゃ食いしん坊の私が食べてないからこんな風にネガティヴになるんだ、体も冷えているし余計に良くない。 そう思って薬膳鍋を作って食べた。 やっとその気力が湧いた。 体が暖まりお腹が満たされたら少し気持ちも落ち着いた。 電話が無かったらまだベッドから出られないでいたかもしれない。 鍋を食べながらそんな事を思っていた。 温かい食べ物は人を安心させる。 ちゃんと食べようと思わせてくれたTKさんに感謝した。   そして、気持ちを切り替えた。 もしも悪性だった場合、スキーも陶芸もしばらく出来なくなる… だったら今なんともなくて普通に生活出来ている時間を無駄にしたくない! 3日間も泣いているだけしかしていなかったなんて、なんてもったいない事をしてしまったんだろう… そんな風に思って当初行く予定だった白馬へ滞在予定を短縮して数日間だけ行くことにした。   家に1人で居るのが辛すぎたこと、白馬のファミリーにも会いたかったこと、いろんな気持ちで白馬へ向かった。 会いたい人に会いに行った。 ここ何年も会いたい人には老若男女問わず会えるように意識して行動することにしている。   いつ誰がなんどきどうなるか?なんてわからないし、会っておけば良かったっていう後悔をしたくないと思うから会いたい人にはちゃんと連絡する様にしている。 もちろん都合が合わなくてナカナカ会えない人もいるんだけど…   TKさん夫婦にも白馬で会えた。というかTKさんたちも大変な時だったのにわざわざ会いに来てくれた。 IさんとMさんも来てくれた。 みんなでワイワイ夜遅くまで話した。 今思うと精密検査を受けて結果を待っているこの2週間の期間が気持ち的に一番不安定でツラい時期だった。 だけど私の周りには優しくてあったかい人たちがたくさん居てくれた。 そんな人たちに私はずっと支えられていた。   なんとなく悪性かもしれないという気持ちはこの2週間で強くなっていて結果的にはそのおかげで少しずつ覚悟が出来ていたんだと思う。 滑りに来て良かった。 ホントにそう思った。 滑っている瞬間は不安な気持ちを忘れていられたし、楽しくて優しい人たちと居るとその時は不安な気持ちを思い出さないで済んだ。   白馬でいつもお世話になっているファミリーも朗らかで優しい人たち。 年に1度のスノーボード体験はいっつもここんちのお父さんと次女のHちゃんに岩岳へ連れて行ってもらう。 スキーの様には滑れないけど、それがまた楽しかったりもする。   私はアホなのかもしれないけど、この時ホントに[今、なんの不自由もなく滑れているうちに出来る限り1日でも滑りたい!]と強く思った。 おかしいのかな、私?と思って母に言ってみたけど「そんなん普通、普通。悪いことばっかり考えてもどうにもならへんのやから、スキーも行きなさい。滑って楽しいんやったらいっぱい行きなさい。楽しい事、出来るのにやめへんでええんやから」というような事を言われた。   結果的には滑りに行くスケジュールが上手く調整出来なくてさほどは行けなかったし、ちゃんと歩くBCには1日も行けなかったシーズンになった…   そう思うと、今年は体力が劇的に落ちているとはいえスキーが出来ていることをすごく嬉しく思う。 もちろん作シーズン以前と同じというワケにはいかないことが多々あるのだけど、少しずつクリアして行ければ良いし、無理し過ぎず、焦らず過ごしていきたい。   今シーズンはついにTKさんファミリーとも一緒にスキーに行く予定。 今からとても楽しみ。...

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