Lifestyle | ucacoceramics - Part 3
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8月 25 2019

座右の銘って?

座右の銘 そんな大それた言い方しちゃうとハードルが上がってしまうのだけど、座右の銘とか生きていく上で大切にしている自分なりの指針みたいなものって尋ねられるまでちゃんと意識したり言葉にしてこなかったなぁって思います。     私の座右の銘は「一生笑って暮らすこと」コレに尽きるのですが、そんなんで良いの?って感じだったりもします。でもまぁ、コレが1番しっくり来るので聞かれた時はこう答えるようにしています。笑     数年前にお取引先さんから「田中さんの座右の銘は何ですか?」と聞かれた時に(そんなの初めて聞かれたのだけどその後何人かの人に同じ質問をされる事になり、この業界の人たちはそういう論議をするのが好きなんだなぁ。頭良い人多いもんなぁ。なんて思いました。笑)めちゃくちゃ困ったのを覚えています。 「そんなの考えた事もないし別に無いかなぁ…」なんて言って。笑 そしたら「いや、じゃあどんな風にしたいとか居たいとか無いですか?」って尋ねられて「それならあります!」と答えたのが「一生笑って暮らしたい」でした。そしたらその方からは「いや、それ言ったらみんなそうですよ!もっとなんか無いんですか?」と言われたのだけどそれ以上はないです。今も。笑     ただ、コレは20歳の頃の自分が掲げた人生の目標でずっと変わらないでいる事だから、最近では恥ずかしいとは思わずに座右の銘ってことで言ってしまってます。笑 『この人、もしかしてアホなのかな?』って思われてそうだけど。笑 でも、別に笑って暮らしたいってのは楽したいって事でも嫌なことから逃げたいってわけでも無いんです。 むしろ逆かもしれない。 “ずっと笑っていられる自分ってどんな自分?”それを自分自身に問うてみたら自ずと答えは出ます。 ・笑っているためには努力が必要。 だけどテンパらないでいられる様に余裕も必要。 ・笑っているためには周りへの配慮や優しさが必要。 だけど人に優しく出来ない時は自分に余裕が無いときだから笑ってられなくなる。 ・笑っているためには自分を信じる強い心が必要。自分を信じられないと周りの人の事も信じられなくなるから。 だから自分を信じられなくなってしまう様な環境には長居するべきじゃ無い。 たとえそこに代え難くやりがいがある仕事なんかがあるとしても。 ・笑っているためには諦めない気持ちが必要。諦めてしまったらその先には進んで行けないから。 ・笑っているためには持続力も必要。 だけどそれを頑張ってるって思わないで居られる心持ちが1番大切でリラックスしていられる事がキモだったりする。   ずっと笑っていたいから自分をちゃんと大切にして、周りの大好きな人たちの事も大切にしていたい。 ただそれだけのシンプルな事だけど、心が少しでも澱んでいるとそれがナチュラルには出来なくなってしまう。   日々の生活の中で色々な目標はもちろんあるけど、それは最終到達点としての目標では無くて全て通過点でしかない。 いくら願いが叶っても、自分が笑っていられなかったなら、それは人生においては大した意味を持たないコトだって思ってる。 笑っていられる自分でありたい。 無理して強がって笑うんじゃ無くて、穏かに笑っていたい。 人を笑顔に出来る人って老若男女問わず憧れる。 向日葵の様な人ってホントに素敵ですごく惹かれる。 素敵だなぁって思うし、疲れていたり心配事がある時はそういう人に会いたくなる。   明日は定期健診。 毎回のことながら気持ちがちょっと落ち着かない。 健診の前1週間くらいは未だにどうしても気持ちがざわつく。 こないだ買った向日葵はもうドライにしてしまったし、明日は早起きして病院へ行く前に向日葵畑でパワーチャージしてから行こうかな。 そんな事を思った。 今日は(も)早寝しよう。   2019年8月25日...

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7月 28 2019

海の家で手ろくろワークショップします!

昨日は葉山の一色海岸にある海の家UMIGOYAさんで8月4日(日)のワークショップに向けてプレでワークショップを行わせていただきました。   台風が直撃すると聞いていたので流れちゃうかなぁ?と思っていましたが無事に晴れて風もちょうど心地良くて良い一日となりました! 足りなさそうな物がなんだか?もわかったので来週までに用意しておこうと思います。 来週末の日曜日(8月4日)もゆるりと13時頃からワークショップ予定です。   一部B品の販売も行っていますのでご興味のある方は是非遊びにいらしてください。 海で遊んだり、飲んだりお昼寝したり、楽しめると思います! ...

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7月 16 2019

福岡の薬院でPOP UP eventが決まりました!

7月27日(土)〜8月12日(祝・月)の約2週間、福岡の薬院にあるH+yakuinにてPOP UP eventを開催していただく事になりました! 九州のお客様からはチョコチョコとお問い合わせをいただくのでまたご覧になっていただく機会が出来るのはすごく嬉しいです!! H+yakuinさんではお洋服やスカーフ、靴、バッグなど以外にも素敵なインテリアや美味しいお茶も展開しているので是非ふらりとお立ち寄りいただければと思います。  ...

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6月 06 2019

SALT & HONEY

2019年6月7日発売の雑誌HONEY #25(ネコパブリッシング発行)に掲載いただきました!     今号は満を持して?の湘南特集。 海を愛する全ての女性へ向けた素敵な媒体HONEYで湘南のクリエイターとしてインタビュー記事を掲載していただきました。 ありがとうございます。 すごく嬉しいです!!   海を好きな女性たちに私の器を知っていただけたり好きになってもらえたらすごく嬉しい…   普段の暮らしの中でリラックスしてお茶やコーヒーを飲む時、友人を招いてワイワイと食事をする時、家族で過ごす時、皆さんそれぞれのホッとする時間に寄り添える器をこれからもずっと作っていたいです。   逗子・葉山が好きで住みだして6年目。 湘南のクリエイターとして取り扱っていただけてとても幸せです!!   今日は午前中から海へ出てSUPでひと漕ぎしていて帰って来たらポストにHONEYが届いていたので、潮にまみれてしょっぱくなった後のハチミツでなんだかバランスの良い1日になりました。笑   WEL'Lも載っています! そこにも私の器が登場。 そしてENJOY SHONANというページでもワークショップのことなど載せていただきました! 是非葉山でゆるりと陶芸体験をしにいらしてください!  ...

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3月 26 2019

湘南スタイルmagazine Vol.77に掲載いただきました。

  海がそばにある暮らしに憧れて湘南地区へ引っ越して来たのが2014年。 気づけばもうすぐ6年目に入ります。 住む前に遊びに来ていた頃は夏の陽気な雰囲気の時にしか来た事が無くて、引っ越すなら夏前に!と急いで物件探しをしていました。   だけど、実際に住んでみたら秋~冬の海岸がすごく好きになりました。 海の水は透明度が高くて、空も空気が澄んでいて富士山が綺麗に見える日もたくさんある。   1年目より2年目、2年目より3年目と過ごす時間が増えるほどにこの街が好きになっていきます。 海も山もそばにある自然豊かな暮らしは今の私にとって無くてはならないものになっていて、この辺りは本当に暮らしやすい良いところだとつくづく思います!     そんな地域の良さを発信し続けているエイ出版社発行の湘南スタイルmagazine Vol.77(3月26日発売号)にて、連載企画SHONAN CREATOR'S FILE のVol.005でインタビュー記事を掲載していただきました! 海がそばにある暮らしに憧れて移り住んだ湘南地区。 その地域のバイブルの様な媒体に器を載せていただけた事がとてつもなく嬉しいです!!   良ければ書店でチラッとご覧ください! もしくは携帯からポチッとしてみてください!笑   トビラページに載せていただいた器の事などもblogにUPしています。(こちら)良ければ合わせてご覧ください。 2019年3月26日...

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3月 22 2019

逗子海岸映画祭に出展いたします!

今年のゴールデンウィークは 逗子海岸映画祭のアミーゴセレクションというコーナーに出展させていただきます。 まだ都内に住んでいた頃から素敵だなぁって思っていたイベントなので参加させていただけるのが今からとても楽しみです!   そして今年、映画祭は10周年を迎えるそうです!すごい!! そんな記念すべき年に参加出来るって嬉しいな。     開催期間:4/26(金曜日)~5/6(月曜祝日)までの11日間   私も出来るだけ現地にいられる様にしたいと思っています。 皆さま是非足をお運びください!   夜のビーチのスクリーンやマーケットは非日常的で海外の様な雰囲気がとても素敵なんです!! (夜は寒いので映画を観に来られる方は念のため防寒着をお持ちください!!)  ...

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3月 11 2019

Thanks to all!

3月8日から11日までB品SALEをWEL'Lさんで開催させていただきました。 来てくださった皆様ありがとうございます! わざわざ遠方からお見えになられた方もいらっしゃってすごくありがたかったです。   そして、久しぶりの友達もわざわざ葉山まで遊びに来てくれました! 彼女に出会ったのは7〜8年前かなぁ? とあるアウトドア雑誌のロケで一緒に釣りをした仲です。笑   その時の印象がすごく良くて(なんか楽しかった)その後SNSで彼女の活躍を見ながら素敵だなぁ!と思って影ながら応援していました。 また会いたいな!と思わせる魅力的な人で、また会える気もしていました。   ずっと会えていなかったのに、彼女も同じ様に私のことを気にしてくれていて、そしてやっと久しぶりに会えた!というか彼女が会いに来てくれました。 すごく嬉しかったです!   手土産も持って来てくれて、開けてもいい?と聞いて袋から出したそのお土産が、陸前高田市を応援するために作られたクッキーでめちゃくちゃ驚きました!!   いろんな“引き”を感じたので今回は来てくださった方の中から彼女のことを書かせてもらいます(勝手に)笑     今回ユルっと開催させていただいたB品SALEは最終日が11日、本日でした。 (病院へ行ったりしていて今日はあまりお店に居られなかったのだけど…) 最終日が311だということに気付いたのと同タイミングくらいでWEL'Lのオーナーであるかなえさんから「今回のSALEはうちに売上を落とさなくて良いので沢山売ってくださいね!」というとてもありがたい連絡をいただいていました。(ホントに心が広いなぁっていつも感謝ばかり…) そして、今回そのありがたいお言葉に甘えさせていただきました。   ただ、そのご連絡をいただいた時には既に半分くらいのSALE品に値札シールを貼ってしまっていて、更に値段を下げてシールを貼り直すかちょっと迷ったのですが、結局はそうせずにお店へお渡しするつもりだった分を被災地の寄付金か義援金として回したいと思いました。 というか、そうすべき流れとしか思えないタイミングだったんです。 かなえさんからのご提案を聞く前に、自分が今すべき事はなんだろう?何が出来るのだろう?と思っていて、納付先を調べていたところだったので…   色々な団体があるので何処が良いのだろうか?とか今年は北海道の方が良いかもしれないと思ってもいました。 東北も北海道も私にとってはとても縁のある地域でいつも雪山で楽しませてもらっているし、その土地への感謝を自分なりに形にしたいという気持ちが小さいなりにもあります。   自分が労働して得た限られたお金の使い道に関して、ここ数年どんどんシビアになって来ていて、特に昨年の1年で“どうせなら生きた使い方にしたい”という思いが以前よりも強くなりました。(シビアなお金の使い方に関してはまた別で書きたいと思っています。)   そんなことを思って北海道か東北かで絞ろうと思っていたタイミングで久しぶりに会えたありさちゃんが持って来てくれた手土産のクッキー。 これは、送り先を陸前高田市にしなさいという流れなんだとすぐさま思いました。   ありさちゃんはこの後、ラジオ出演があって、被災地の話なんかをするんだと言っていました。 会えそうでいながらもナカナカ会えずにいた。なのに、今日この日、このタイミングで会えた理由はココにあったんだ!とも思いました。 来月の彼女のバースデーライブを見に行こうと思っていたら私のバースデーSALEに来てくれたありさちゃん。(誕生日だとは知らずに)色々と引きの強さを感じました。   今年の誕生日前後は、点でしかなかった色んなことが(これ以外にも)線になっていく感覚でした。   44歳になったこれからの1年は、この線を繋いで、小さくても良いから自分にとって美しいと思える面を作りたいと思っています。   立体3Dにするのはまだまだ時間もかかるし先になると思うけど、いつかは立体的にもしたい。 突貫建築ではなくジックリと納得しながら、ひとつひとつの理由も自身の中で意識化しながら過ごして行きたいし、ちょっとずつ進んで行きたいと思います。   そして今、関わってくださっている全ての人への感謝を忘れない歳にしたいとも思っています。     2019年3月11日...

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1年前のCT/MRI検査 そして明日は1年検診

2018年2月19日 MRI 2月21日 CT 検査をまとめて同じ日にやってくれりゃ良いのに…と思っていた。 病院嫌いの私は何度も病院へ行くという行動自体が嫌いだ… だけど放射線量の問題で別日にしなきゃいけないらしかった。   造影剤が初めてだったので体が燃える様に熱くなるのがものすごく怖かった。 事前に説明を受けていなかったらパニックになりそうだなぁと思った。 聞いていたのに焼け死ぬんじゃないか?というような恐ろしさを感じたほどだったから。   とにかく検査続きの日々に疲れていたし苛立ちも感じていた。 このひと月ちょっとの間に何回レントゲンやらなんやらで放射線を浴びているんだろう…と思うと自分のことが不憫に思えた。   こんなに短期間に何度も放射線を受けている方が癌になるんじゃ無いのか?というようなひねくれた気持ちにもなりそうだった。   看護婦さんからストレスになる様な事は出来るだけ避ける様にと何度も言われていて、会社などでの精神的なストレスがあるのは本当に良くないから、と病院へ行くたびに何度も言われた。   仕事は辞めたから今はストレスが無いはずなんですけど…と答えていた。(真面目に働いている社会人でストレスが全く無い人なんて皆無で誰にでもストレスはあるんだから)   そういうのもあってストレスになることを自分の生活圏内から少しずつ遠ざけるようになっていった。   自分でも驚くほどのポジティブな考えの持ち主なのもあって〔仕事を辞めていなければこんな忙しい時期に精密検査とか受けに行ってる時間無いし、って言って面倒くさがって行かなかったな、私…。 それ以前に辞めて無かったら婦人科検診も受けなかっただろうし、発見が遅れて手遅れになっていたかもしれない。やっぱり私はついている。〕と思った。   仕事を辞める事になったのは、こういう大きな理由があったからだ!病気に気付く為に導かれたんだと思った。   そう思う事でしか次々と巻き起こる色んな出来事に対して納得が出来なかったのかもしれない。 とにかく前へ進むしか道は無くて、その為にはマインドコントロールをしてプラスの考え方にするしか気持ち的な逃げ道がなかった。   マイナス感情になってしまう事を考える事がストレスになっているんだと思い、嫌な事を考えたり思い出したりしないで済む様に物理的にも色々と工夫をした。   それでも負の感情を0にする事が出来ず、何も考えないで済む様にとにかく時間が許す限りろくろを回し続けた。 そうする事でしか気持ちを保つ事が出来ずにいた。   この時期の私は毎日ろくろを回して出来る限り海岸へサンセットを見に行っていた。   出来る限り人には会いたく無かった。 平気なフリをする事が辛くて1人で陶芸をしていることがとにかく救いだった。   12年の間ずっと陶芸には救われる事がたくさんあったけれど昨年の2018年ほど陶芸の存在が私にとって大きかった年は無い。 もし陶芸をしていなかったとしたら、あの不安定な気持ちをフラットにする手段が無かったということだ… とはいえろくろを回しながら泣けてきて涙で視界が悪くてうまく作れないという日がかなりあったのだけれど…   明日は朝から1年検診だ… 通常の検診ではエコー検査だけど明日はCTだから緊張する…   1年検診の事を思うとやっぱり少し不安でここひと月ちょっとの間は微妙に緊張している。 明日の検査結果は月末にわかる。 まずは1年検診をクリアしたい。   去年の今頃と比べればかなり通常ではあるけれど、再発の恐怖はまだ消えない。 きっと大丈夫。そう何度も口に出したり文字にしている。...

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約一年前のとある2週間くらいのこと

約1年前のこと 2018年1月23日:精密検査 この前の健康診断はエコー検査だったから、今日はマンモグラフィーだなぁ… 痛いし嫌だなぁ…そんな気持ちで病院へ向かった。   まずは往診、その後色んな検査をして、その後また往診。 そこでお医者さんから優しい言い方ではあるけれど業務的に説明をされた。 「リンパ液の採取、細胞の採取をする注射をする。細胞の採取は針が太いから痛みがあるので痛み止めも打ちます。計3本の注射をします」。と言われた。 その時点で私はかなりのパニックになった。「細胞診の為??」なんだか思っていたよりおおごとっぽい… 注射は嫌いで採血ですら見てしまうと気を失いそうになる。 針先も怖い。 子供の頃の注射の日は朝から泣きわめいて親を困らせていた様なタイプだ。 未だに注射が怖い…   恐怖心と状況が理解出来ないパニックで私は座っているのに倒れかけた。 フラつく私を看護婦さんが支えて背中を撫でてくれたのがものすごく暖かくて何故だか涙がこぼれた。 結果が出るのは2週間後、またその時に来てください、と言われ次回の予約を入れて病院を後にした。 予備知識があればあんな風にテンパることも無かったのだろうけど、健康診断後の自分は悪性腫瘍の可能性なんて考えていなかったから何にもネットで調べたりもしていなかった。 だから、この検査の状況が予想をはるかに超えていて(マンモグラフィーだけで終わると思い込んでいたから)そこでやっとコトの重大さに気づいた。   検査を終え病院を出てバス停に向かう数分の間に涙が溢れて止まらなかった。 不安、恐怖、悲しさ、悔しさ、なんだかわからない感情が一気に押し寄せて来て冷静になろうとしても涙を止める事が出来なかった。 母から電話がかかって来たのでバスに乗らず雪が溶けて水たまりだらけの歩道を歩きながらこの日の検査内容を話した。   お店にお客様が来た、と言って母は途中で電話を切った。 そういうのが無ければ、私はいつまでもただ泣いて行き所のない感情を母にぶつけるだけになっていたと思う。 そうならずに済んだことを、その時お店に入って来てくれたお客様に感謝した。   バスに乗っている間も涙は止まらず家に帰ってベッドに倒れこんだ。 3日3晩ひたすら泣き続けていた。 何もする気力が出ず食べることすら出来ず… 「なんで私が?私は悪いことなんてしていないのに」「世の中は不公平すぎる」 そんな気持ちばかりで憤りを感じた。 泣きすぎて頭が痛くて仕方なかった。   そんな風に泣き続けていた3日目に電話が鳴った。 出るのをちょっと迷ったけど画面を見たらTKさんの名前が表示されていたから思わず出てしまった。 一応冷静を装って出た。 TVの前でうたた寝していて、TV消しなさい!と注意されている人が[寝てないよアピール]する時みたいな感じで普通を装ってはみたけど、泣きすぎてめちゃくちゃ鼻声になっているから私が泣いていたことはすぐバレた。 「どうしたんですか?大丈夫ですか?」そんなことを言われたんだと思う。 テンパりながら「大丈夫じゃないです。癌かもしれない…」と結局また泣き出してしまった。 恐怖心を抱えきれなくなっていたところに電話をもらえたから吐き出せて良かったんだと思う。   なんだかんだ話していた。 何を話していたのか覚えていない… けど、この世のものとは思えないほどブッサイクな顔をして泣いていた時にTKさんはいつも通り冗談を言って笑わせてくれた。何で笑えたのか内容は覚えていないけど。(笑) でも、あの状態から私を笑わせるなんてすごい。 ユーモアと人間的な温かさのバランスが素晴らしい人だなぁっていつも思う。   TKさん夫妻や娘さんたちにはもう何年もお世話になっている。 いつも暖かくて優しい、大好きなファミリーで私にとって大切な人たち。   泣きながらもTKさんといつも通りくだらない話をしたら、少し元気になって来て、やっとベッドから起き上がれた。   めちゃくちゃ食いしん坊の私が食べてないからこんな風にネガティヴになるんだ、体も冷えているし余計に良くない。 そう思って薬膳鍋を作って食べた。 やっとその気力が湧いた。 体が暖まりお腹が満たされたら少し気持ちも落ち着いた。 電話が鳴って無かったらまだベッドから出られないでいたかもしれない。 鍋を食べながらそんな事を思っていた。 温かい食べ物は人を安心させる。 ちゃんと食べようと思わせてくれたTKさんに感謝した。   そして、気持ちを切り替えた。 もしも悪性だった場合、スキーも陶芸もしばらく出来なくなる… だったら今なんともなくて普通に生活出来ている時間を無駄にしたくない! 3日間も泣いているだけしかしていなかったなんて、なんてもったいない事をしてしまったんだろう… そんな風に思って当初行く予定だった白馬へ、滞在予定を短縮して数日間だけ行くことにした。   家に1人で居るのが辛すぎたこと、白馬のファミリーにも会いたかったこと、いろんな気持ちで白馬へ向かった。 会いたい人に会いに行った。 ここ何年も会いたい人には老若男女問わず会えるように意識して行動することにしている。   いつ誰がなんどきどうなるか?なんてわからないし、会っておけば良かったっていう後悔をしたくないと思うから会いたい人にはちゃんと連絡する様にしている。 もちろん都合が合わなくてナカナカ会えない人もいるんだけど…   TKさん夫婦にも白馬で会えた。というかTKさんたちも大変な時だったのにわざわざ会いに来てくれた。 IさんとMさんも来てくれた。 みんなでワイワイ夜遅くまで話した。 今思うと精密検査を受けて結果を待っているこの2週間の期間が気持ち的に一番不安定でツラい時期だった。 だけど私の周りには優しくてあったかい人たちがたくさん居てくれた。 そんな人たちに私はずっと支えられていた。   なんとなく悪性かもしれないという気持ちはこの2週間で強くなっていて結果的にはそのおかげで少しずつ覚悟が出来ていたんだと思う。 滑りに来て良かった。 ホントにそう思った。 滑っている瞬間は不安な気持ちを忘れていられたし、楽しくて優しい人たちと居るとその時は不安な気持ちを思い出さないで済んだ。   白馬でいつもお世話になっているファミリーも朗らかで優しい人たち。 年に1度のスノーボード体験はいっつもここのお父さんと次女のHちゃんに岩岳へ連れて行ってもらう。 スキーの様には滑れないけど、それがまた楽しかったりもする。   私はアホなのかもしれないけど、この時ホントに[今、なんの不自由もなく滑れているうちに出来る限り1日でも滑りたい!]と強く思った。 おかしいのかな、私?と思って母に言ってみたけど「そんなん普通、普通。悪いことばっかり考えてもどうにもならへんのやから、スキーも行きなさい。滑って楽しいんやったらいっぱい行きなさい。楽しい事、出来るのにやめへんでええんやから」というような事を言われた。   結果的には滑りに行くスケジュールが上手く調整出来なくてさほどは行けなかったし、ちゃんと歩くBCスキーには1日も行けなかったシーズンになった…   そう思うと、今年は体力が劇的に落ちているとはいえスキーが出来ていることをすごく嬉しく思う。 もちろん作シーズン以前と同じというワケにはいかないことが多々あるのだけど、少しずつクリアして行ければ良いし、無理し過ぎず、焦らず過ごしていきたい。   今シーズンはついにTKさんファミリーとも一緒にスキーに行く予定。 今からとても楽しみ。   2019年1月29日...

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1月 16 2019

一年前の今日のこと【健康診断へ】

2018年1月16日:健康診断 有給休暇の消化が始まったばかりだった。 都内のクリニックで健康診断を受けるために久しぶりに渋谷へ。 定期券が無くなった今、健康診断だけの為に渋谷に出るなんて…とこの日は思っていたけれど、ココで受けてよかったと後日思うことになった。   2年に1度の婦人科検診は昨年受けていて問題無かったから特に今年受けないといけないわけじゃない。 だけど周りのフリーランスの友人たちが健康診断を受けていない様子を見ていたのもあったせいなのか、なんとなく[来年は健康診断を受けないかもしれないから]と思い、念のために受けておきたくなって当日に急きょ受付時に依頼をした。 すると、なぜ急に受けようと思ったか?の理由を受付で執拗に聞かれたので結構驚いたのを覚えている。 (無理なら仕方ないくらいのホントに軽い気持ちで受診可能かを聞いただけだったので…) 「なんとなく、来年は受けられ無いかもしれないし、母親も昔に乳がん手術をしているし、私も子宮筋腫をたくさん抱えていた事があるので念のため両方受けておきたい」と答えたらラッキーな事に受けさせてもらえた。 確か普段なら予約して無いとダメだけど、ちょうど今の時間ならまだ空きもあるから、みたいなことを言われた気がする。   各種の健康診断を受けたけど正直全く覚えていない。 覚えているのは乳がん検診のエコーの時間がものすごく長くて、寒いし冷たいし痛かったことくらい… 検査医の先生は私の事が嫌いなのかな?こんなに【親の仇】みたいにしなくても…と、とにかく痛みに耐えていた。 まだ続くなら痛いとそろそろ伝えよう…そう思っていた矢先に先生の手が止まって急に色々な質問をされた。 けど、そんな質問をされるというのが想定外だったからあんまり的確な返答を出来ていなくて、だいぶボンヤリした答え方だったと思う。   検診後の問診では、女医さんがとにかくピリピリした雰囲気で矢継ぎ早に質問をして来たのだけど、自分の事なのに昨年の検診結果がどうだったか?を私がちゃんと記憶していなくて即答出来ずにいた…(ということは問題点が無かったってことだと思うのだけど、あんまり気にもしていなかったから細かく聞かれると昨年の結果がどうだったのか?がわからなくなって来てた。この半年後くらいに見つけた昨年の健康診断結果を見たらオールAだったんだけど…) 今までに引っかかった事があったのは肺の徐脈、これはここ数年毎年聞かれるから既に大したことでは無いと気にしなくなっていたし、子宮筋腫は多量発生していた時期があって通院もしていたし投薬治療もしていた事もあるけれどそれも今は大丈夫なはず、だけどどうだろう…と… その2つの事を女医さんに伝えている途中で、もう、それはとにかく大したことじゃない。大したことないわけではないけど、それはまず置いといて先に解決しないといけない事がある、とりあえず。と次の話題にすぐに進めようとしていた。 後から思い返せば先生は全て分かっていたからなんだけど、その時はその女医さんのイライラしている感じがちょっと怖く感じた。   そして右胸に影がうつっていること、シコリがあるからとにかく明日にでも精密検査を受けた方が良い、ということを伝えられた。 何かおかしな事は無いか?とかこんな事はなかったか?あんな事は無かったか?と色んな症状的な事を聞かれたのだけれど、どれもこれもピンと来ておらず、あるといえばあったかもしれないし、でも歳も歳だし常になにかしら調子悪いもんだろうし…くらいの気持ちでボンヤリと聞いていた。 ま、どうせ良性だから。くらいにしかその日は思わなかった。というか急展開すぎて全く想像が出来ていなかったのかもしれない。 不安じゃ無いわけでは無かったけど、私に限ってそんな事あるわけない!と思い込んでもいた。 ここ何年も添加物は自宅では摂っていなかったし、お酒は好きだといえど体を壊すほど飲んだりもしない。 運動もハードではないにせよ夏はSUP、冬はスキーと楽しんでいたし、ほんのたまには登山もしていたし、よく働きよく遊んでもいて、健康的な生活を送っているという自負がどこかにあった。   女医さんがエコー検査をCDに焼いた物と紹介状的な物を書いてくれ手渡された。 病院は都内なら紹介できる所があるのだけど、家が葉山だから絶対に家の近くにした方が良い。だからと言って小さすぎる病院はダメだから専門の病院で通院が楽なところにしなさい。と細かなアドバイスをもらった。 多分毎日通う事になった時にその方が良い、と… そこまで言われているのに、私は心の中でまだ[大丈夫。きっと大げさに言っているだけだ。]と思っていた。 でも、流石に少しだけ心配になって母に電話をした。 「そうか…心配やなぁ…でもきっと大丈夫、きっと良性やから!」と母は言った。 「でも明日にでも受けなさい。検査は出来るだけ早く」と念を押され電話を切った。   冗談ばっかり言っていつも笑っている母の声のトーンがこの時ばかりは少し暗くなっていて、私は急にソワソワして気になりだした… そして家から通いやすいところで検査を受けるために病院へ電話。 どこだったか忘れたけれど1軒目は電話の向こうの応対がすごく怖かったのでやめにした。予約も随分と先にしか取れなかったし… 二軒目にかけた病院は業務的だったけれど1週間後に予約が取れたのでそこで検査をする事にした。   だけどまだ私はどこか楽観視していた。 もう40代だしどこかしらにガタは来てる。健康診断で引っかかるくらいは大丈夫!そう自分に言い聞かせた。 だけど、最悪の場合を想定してもいた。月末から住み込みバイトをさせてもらう予定だった白馬の知り合いにはもしかしたら行けなくなるかもしれないことを連絡し、申し訳無い気持ちになってもいた。   冷静でいようとずっと思っていた。けど正直あまり冷静では無かったと思う。 とにかく絶対大丈夫!と自分に言い聞かせていたし、不安はあるもののまだこの時の私は絶望してはいなかった。   ☆今日のこのブログは一年前に書き留めていた日記を元に一年前のことを振り返っています。 忘れてはいけないことがたくさんあってそしてまだ闘病生活が終わったわけでは無いことも、これから私がすべき事は何なのか?もやっと考えられる様になって来ました。 思い出すと辛い事はもちろんたくさんあります。 でも、家族や友達に支えられて私は今笑っていられる。 やっと辛かった時のことを「辛かった」って言える様になりました。 当時は辛すぎて辛いと言ってしまえない様なところがあったのだけど。 今年、経験を生かして何か出来ることがあるかもしれないと思いピンクリボンアドバイザーの資格を取得するため勉強をしようと思っています。  ...

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